いつか雑誌で読んだ「八王子城跡」へ行ってみようと思い立ち、中央線の高尾駅、初めて降りました。
高尾駅前からは、直接、八王寺城跡まで行くバスが出ます(土日のみ)。
バスは「多摩森林科学園」の前を通って、丘を登って・降りて、いったん住宅街に入り、さらに谷の奥へと入って、終点「八王子城跡」に到着。
国の史跡。日本遺産の構成要素でもあり、日本100名城にも登録されています。
まずは、入り口のガイダンス施設へ。
お城の歴史とともに、発掘されたものがたくさん展示されていました。
これは復元レプリカですが、城跡で発掘されたベネチアングラス。
安土桃山時代の香りがしますね~
要塞だけを目的とした中世の山城ではなかったのですね。
こちらは明から来た磁器。
では、まずは、最後の城主・北条氏照の居館の跡へ。
杉に包まれた山の中をしばらく進むと、橋がかかっています。
この「曳橋」は、史実に基づいたものではなく、もっと簡素な橋だったろうということ。いずれにせよ、対岸の城主の館「御主殿」に入るための橋。
曳橋を渡り、「御主殿」跡へ。
発掘された、当時のままの石積みだそうです。
開けた場所に、主殿の跡が石で示されています。
御殿の奥には、池の跡と思われる石組も見つかっているそうです。
御殿で池泉式の庭園を見ながら、舶来モノのグラスを用意して、お客様を迎える…そんな暮らしだったのかも。
福井で見た、一乗谷の朝倉氏遺跡を思い出します。
しかし豊臣秀吉方の軍勢に攻められ、1590年に落城。
御主殿のそばにある、御主殿の滝。
御主殿にいた北条方の武将や婦女子らがこの滝の上流で自刃、次々と身を投じ、滝が赤く染まったという話が伝わる。
今は静かな山の中。
この御主殿跡の周辺は、でっかい望遠レンズをつけたバードウオッチングの人が目立ちました。
御主殿のあるエリアを後にして、八王寺城本丸があった山に登ります。
お天気が良くて暑いし、坂は急で、ちょっとたいへん。
途中に、いくつか曲輪跡もありました。
30分ほど登ってきて、都心側がよく見える所に出ました。
もう少し登ると、八王寺神社(覆屋がかかっています)。
氏照が八王寺城築城にあたり、城の守護神とした「八王子権現」が祀られている神社です(ガイダンス施設資料より)。
八王寺神社の裏手の丘をさらに登ると、山頂(460M)の本丸跡。
ごく狭い場所ですので、大きな建物は建っていなかったと考えられています。
お昼も過ぎたし、ずっと登ってきましたので、本丸の横にあった「松木曲輪」でお昼ご飯にしました。
この日は、たくさんの人が城跡に来ていましたが、入り口のガイダンス施設横で開催されていたイベントに来た人だったようです。
一部は御主殿跡に来ていましたが、本丸跡まで山を登ってきた人はごく少数。
そして本丸跡まで登って来た人も、ほとんどが、ここで折り返して戻っていきました。
我々はこの先へと進みます。
本丸のさらに西にある「詰城」~富士見台~愛宕山地蔵尊~小仏関跡と山を歩くコースに挑戦。新しいトレッキングシューズの足慣らしも兼ねています。
コースがぐっと細く、ワイルドになりました。
気をつけていないと、コースがわかりにくい場所もありました。
ところどころ樹が根こそぎ倒れてたりもします(幹を切って、通れるようにちゃんと整備されていましたが)。
尾根の上のアップダウンを繰り返し、詰城を経由して、1時間ほどで富士見台に到着。
でも、富士山は見えなかった…
富士見台からは、山を下っていきます。
かなり急斜面を下る場所も多くて、そうとう足が疲れました。
他の人には、たま~に会う程度です(必ず追い越される)。
1時間以上かかって、愛宕地蔵尊に到着。ちょっと休憩。
愛宕地蔵尊からの林間の下りが、さらに急でした(>_<)
でも新しいトレッキングシューズは、しっかりと土をグリップしてくれて頼もしかったです。
なんとかかんとか降りてきて、平地に出ました。
中央自動車道をくぐって、静かな集落を歩いて、街道に出ると「小仏の関跡」。
このすぐ前が「駒木野」というバス停。
やってきたバスには、山の格好をした人たちが、すでにたくさん乗っていました。
(バスの終点、小仏バス停からは、県境の景信山という山に登れるようです)
駒木野バス停からは、10分ほどで高尾駅に着きました。
疲れた…でも頑張った!(自分的には)