赤目四十八滝から、大和八木で乗り換え。待ち時間に地元のおにぎり等を買い、橿原神宮前へ。
ホテル(グランドメルキュール奈良橿原)の部屋で早めの夕食。以前、飛鳥めぐりの時にも泊まったホテルです。名前は何度か変わっていますが。
吉野で夜桜のライトアップをやっているそうなので、行ってみることにしました。
混雑を避けて、6時半ごろ、橿原神宮前を出発。
50分ほど、のんびりと近鉄吉野線(単線)に乗っていきます。
車窓は暗くなってよくわかりませんが、JRと乗り換えられる吉野口駅、それから下市口という駅で乗り降りが多くありました。
「薬水」とか「福神」とか、由緒ありそうな名前の駅が続きます。
夜7時すぎ、吉野駅に到着。
ホームに降りると、夜の山のしっとりとした空気に満たされました。
ようこそ吉野へ!
とうとう来た~。
今まで、JR和歌山線で吉野口までは来たことがあったのだけど。
夜桜ライトアップをしているところまでは「七曲り」という坂道を登ります。
(七曲りの上まではロープウエイもあるのですが、夜は動きません)
車が通れる広さがある舗装路。
ところどころに街灯が点いて、桜もボンヤリ見えます。
が、街灯と街灯の間は、真っ暗(こんなん撮っても…)。
気をつけないと、人にぶつかります。
スマホのライトで足元を照らして歩く人も多くいました。
真っ暗な中をかなり登ると、ようやく、ライトアップが始まりました。
道の両側、ずっと桜。
ライトアップされた桜を見ながら、さらに登ります。
七曲りを登りきると、食堂などお店が並ぶ場所に出て、ライトアップもそこまで。
人がたくさんいて賑やかではあるのですが、都会の公園の夜桜とはちょっと違う。
提灯も、ぼんぼりも、宴会もなく、ただただ、桜だけ。
しっとり落ち着いた夜桜でした。
ちょっとだけ屋台など出ていた吉野駅前でおやつを食べて電車に乗り、9時半、橿原神宮前に戻ってきました。
次の朝。
ホテルの窓から見えた、耳成山。
マンションの先にチラリと、天香具山。
朝ご飯を食べて、橿原神宮前からもう一度、吉野へ。
混雑を避けるため、7時過ぎの橿原神宮前始発の電車を選びました。
昨夜はよくわからなかった車窓の風景、どんなかな~と楽しみです。
桜が点々と咲く奈良盆地の南の端を走ったあと、いったん丘陵地帯に入り、再び風景が開けました。
吉野川のほとりを遡ります。
吉野川を渡ります。吉野川は、下っていくと紀ノ川に合流。
8時すぎに、吉野駅に到着。
今日もやっぱり、吉野の駅を降りると、空気が違う!
昨夜は分からなかったけれど、駅前からも、これだけ桜が見えていたんだ…。
ロープウエイ乗り場は、すでに行列。
乗り場の脇を抜けて、七曲りを歩いて登っていくことにします。
左右に桜を見ながら、七曲りを上ります。
この七曲りのあたりを、下千本と呼ぶようです。
七曲りを登り切りました。
向こうの山の上まで、桜で埋まっています…
こんなにたくさんの桜が、一度に見えるなんて!(だから一目千本って)
下のほうに、吉野駅が見えます。
ロープウエイの山上駅。みなさん降りてきます。
2台のロープウエイ車両、それぞれ、桜と紅葉が描かれていました。
これだけ桜があると、紅葉の時期もすごくきれいだろうなあと思います。
ここからは、この一本の道がず~っとはるばる、奥千本まで伸びています。
来てみて了解したのですが、吉野山は、まずは七曲り(ロープウエイ)で一気に山の上に登る。
そのあとは、尾根の上、南へ南へとず~~っと一本延びていく街道ぞいに、社寺やお店や民家が続いていきます。
(桜の時期は車の通行は制限されています。)
高野山も「山の上の宗教都市」ですが、ケーブルを上ったあとは割と平坦な土地が広がっていたのと比べると、吉野は平地がなく、ずっと「山」。
ですので、この街道、ずっと上り坂。
特に奥へ行くほどかなりの傾斜となり、スキー場の斜面を登っているような場所も少なくありませんでした。車が通るようになる前、昔は階段だったのでは。
桜については、下千本・中千本・上千本・奥千本と名前はついていますが、歩いた感じとしては、「ず~~~~~っと桜」。
黒門。
吉野山の入り口、といった感じです。
黒門の先に、銅(かね)の鳥居。手で触ってみると金属音。
金峯山寺の鳥居であり、発心門。
初代のものは、東大寺の大仏の残った銅で造られたと伝えられ、それが高師直の来襲で焼け落ち、今のは室町時代のもの、ということです。
銅の鳥居からさらにしばらく登ると、修復中の国宝、仁王門。
仁王門に立つ金剛力士像は、預かってもらっている奈良の国立博物館で、一昨年末に見ています。
この時は明るい照明のもと、背後を含めて全身をしっかり見ることができした。
仁王門に戻ってきたら、こうはいかない。
仁王門の修復が終わり、金剛力士像も帰ってきたら、また来てみたいものです。
あと4年ほど先か…
どこを見ても桜で埋め尽くされていて、写真ばっかり撮ってしまいます。
銅の鳥居と仁王門は北を向いていましたが、金峯山寺の本堂(蔵王堂)は南向き。
ぐるっと回って入る感じです。
本堂の前には、柵があって桜が4本。
元弘3年(1333)大塔宮護良親王(だいとうのみやもりながしんのう)が鎌倉幕府勢に攻められて、吉野落城を覚悟して最期の酒宴をされた所です。その際の陣幕の柱跡に植え続けられているのが、この桜です。(金峯山寺サイトより)
本堂、蔵王堂。
中にはご本尊。
秘仏ですが春の特別ご開帳が行われていて、すぐそばで見ることができました。
すぐ真下から、見上げるかんじ。青くて、大きくて、ド迫力の蔵王権現が三体。
不動明王のような憤怒像なのですが、顔の様式がちょっと違うし、鈴や、宝飾に彩られていました。
こういう鈴、修験僧が下げているなあと思います。
境内の西側は、南朝の皇宮跡。今は南朝妙法殿が建ちます。
さらにこの奥には、首からの上の神様、脳天大神龍王院というのもあります。
(そこまでは行ってない。急坂だったのでひるんだ)
南朝妙法殿の前には「吉野朝宮址」の碑。
当時はここに実城寺という寺があり、そこを後醍醐天皇が皇宮と定めたそうです。
南朝妙法殿の中には、その実城寺の本尊、釈迦如来。
金峯山寺の中でも最も古い、9世紀の像ということで、後醍醐天皇も護良親王も手を合わせたであろう…ということでした。
街道に戻ります。
金峯山寺のあたりはお店も多く、最も賑やかな場所。
古くから続いてきた感じの、吉野葛のお店などが並びます。
道幅も、きっと昔と同じなんでしょうね~。
しばらく先に、吉水神社の鳥居がありました。
社殿は、ここから尾根を下っていくことになります。
神社の立地としては妙だな…と思ったら、ここ、もともとは僧房だったそうです(神社となったのは明治期)。
源義経が逃亡の途中でここに身を潜めたり、後醍醐天皇が一時滞在したり、秀吉が吉野で花見をした時に本陣としたりで、様々な歴史の舞台となっているようです。
街道から吉水神社へと下っていく、道すがら。
向こうに、金峯山寺の蔵王堂の大屋根が見えました。
(この先も、あちこちからこの大屋根が見えて、歩いてきた道のりを確認するいい目印になりました。)
吉水神社に入ります。
と、「一目千本」と呼ばれる景勝地。
さっき金峯山寺蔵王堂が見えていたのは北側で、こちらは南のほう。
遠くの山までず~っとず~っと桜が続き、これから歩いていく上千本のほうが見えているようです。
文字通り、一目千本。
吉水神社、拝殿。
ここの参拝方法ですが「2礼・17拍手・1拝」なんだそうで、パンパンパンパンパンパン……とやたらいっぱい、拍手が聞こえています。
拝殿の隣にある書院は、日本最古の書院建築で重文(が、外観を撮り忘れた)。
以下、書院の中です。
鶴の間。桃山時代、狩野派の襖絵。
弁慶、思案の間。隣が義経と静御前が最後に過ごした「潜居の間」。
時代は下り、後醍醐天皇の玉座。
桃山期に改築された、書院造り。
武家の書院造りとは、多少違いがあるそうですが、絢爛豪華な感じがいかにも桃山期。
秀吉が吉野で花見をした時も、この部屋に滞在したそうです。
宝物展では、様々なものが展示されていました。
秀吉が花見の先に寄贈したという、青磁の壺。
同じく秀吉寄贈の銅鐸。左は、蝉丸の琵琶!?
仏像、左は最澄作、右が空海作とか。
左は小野篁の千体地蔵、右は楠木正成の念持仏の毘沙門天。
義経の鐙(あぶみ)、弁慶の小手に、静御前の鎧…。
左は護良親王の忠臣・村上義光の鍔(四角い鍔)。右は後醍醐天皇の御製色紙。
……とまあ、「有名人の〇〇」的なものが次から次へと出てきて「ほんとか!?」と思っちゃったりもするんですが、様々な歴史が重層をなしていることが感じられて、これも吉野の魅力なんだろうなー。
書院から、庭に出ます。
秀吉の花見の本陣である、庭園。
その奥に、北闕門。
いつか京に戻ることを念じつつ、後醍醐天皇が北の方角を眺めていたという場所。
吉水神社を後にして、また坂を上り、街道に戻りました。
次に出てきたのは、勝手神社。社殿はありません。
吉野山山上へのぼる街道と如意輪寺への分岐にあります。後方の袖振山は、大海人皇子(のちの天武天皇)が社前で琴をかなでられたとき、天女が袖をひるがえして舞ったという伝説で知られています。
境内は、義経と別れた静御前が追手に捕えられ、請われて舞いを舞ったといわれる地。社殿は2001(平成13)年に焼失してしまいました。(吉野町のサイトより)
ということで、なんと今度は、大海人皇子の時代となりました。
8時過ぎから歩き始め、10時になりました。
道端で売ってた「とうふドーナツ」で休憩。
揚げたてのとうふドーナツ、あっさりして、とっても美味しかったです。
豆腐屋さんですから、がんもどきとか、他にもいろいろ、美味しそうでした。
勝手神社から先、ぐっと坂が急になります。
道もちょっと狭くなり、人通りも減りました。
山の奥に入ってきた感じがしますが、このあたり、たくさん寺院があります。
桜本坊。
ちょっと門から中をのぞいてみただけ。トタン張りの大屋根でした。
竹林院。ここは入ります。
聖徳太子建立、という伝えられています。
中に入ると、正面玄関。
その右側のこの建物は、宿坊みたいです。すごく立派な材。
で、玄関の左が、庭園の入り口でした。
「群芳園」というお庭で、大和三名園のひとつだそうです。
大和三名園の残りの二つは、大和郡山の慈光院と、當麻寺の中の坊庭園……
當麻寺の中の坊庭園って、前に行ったとこ?
庭園の中に入ります。
宿坊から見るのも、いい眺めだろうな~
小さな仏堂。
池泉回遊式の、思ったよりかなり広い庭園でした。
枝垂れ桜などが咲き誇っています。
秀吉の吉野花見の際に、千利休が庭を改築したということです。
築山の上から。
けっこうなお庭でした。
竹林院の前から、奥千本まで運んでくれるバスが出ています。
でもバス停には、長蛇の列。1時間以上待つとのこと。
引き続き、歩いて登ることにしました。
坂は急ですが、もう上千本。桜が続きます。
坂はきついけど、眺めは最高。
火の見櫓があるところ。
火の見櫓から南。金峯山寺の権現堂の屋根が、まだ見えます。
下のほうに、谷へ降りていく細い道がついています。
(帰りはこんな道を歩きました)
すでに上千本のど真ん中にいます。
展望地「花矢倉」。11時過ぎに到着。
↑この写真の真ん中あたりをズームアップすると
↓こうなります。金峯山寺が見える。
↓さらにズームアップしたつもりが、桜にピントが合ってしまった。
吉野の桜は、多くがヤマザクラ。赤っぽい葉もすでに出ています。
吉野の人は、こんなたくさんの桜の中にいて、桜花粉症にならないのかなぁ。
「花矢倉」の横にあった「三郎鐘」。
世尊寺というお寺の跡に残されたこの鐘は、初代は平忠盛が寄進。
今のは鎌倉時代に改鋳されたもので、重文。
花矢倉からまた、えっちらおっちら登っていくと、ようや着いた。
水分(みくまり)神社。
楼門(中から)。
子授けの神様ということで、秀吉が祈願をして秀頼を授かったということで、今の立派な社殿(重文)は、その秀頼が建てたもの。
コの字型に社殿が連なって、真ん中に桜。
本殿。3つ連なっています。
壮麗な桃山時代の雰囲気です。
水分神社から、奥千本へと登っていきます。
斜面が急すぎて、足がちっとも前に出ない。その場足踏みしてる気分…
なんとか、高城山の展望台に来ました。
はるか先に、二上山が見えました!!遠いなあ。
このあたりは、まだ桜もこれから、という感じです。
この展望台は、桜というより、遠くの山々の眺望がすばらしかったです。
さらに登る(汗)(汗)
ようやく、奥千本の金峰神社の入り口に到着しました。
鳥居には「修行門」。
確かに、ここまで登ってくるのが修行のようでした。
さっきより登ったのに、ここの桜は、満開。
葉も出ておらず、ヤマザクラとは、種類が違う感じがします。
しばらく登ると、金峰神社本殿。
金峰神社は、修験道の行場です。
ここまで辿り着けたことに感謝です。
金峰神社のわき、ちょっと奥まった、林の中に
「義経の隠れ塔」(もちろん再建)。
ここ金峰神社の標高は756m、本日の行程でいちばん高い場所です。
出発した吉野駅の標高が207mで、標高差は約550m。
自分としてはずいぶん頑張ったのですが、修験道の修行の道は、ようやく始まったところ。
大峯奥駈道は、熊野本宮大社まで、はるばると続きます。
「左 大峯」とある古い道しるべ。
熊野本宮までは行きませんが、もうちょっとだけ奥へ。
桜ではなく、杉林になりました。
吉野は杉の産地でもあります。
またまた急な坂を登ったり下ったりして、谷を見下ろす場所に出ました。
奥千本の桜が出迎えてくれます。
奥千本の桜は、まだ細い若木が多いです。
桜の谷の中に、西行庵がありました。
西行さんが座っておられます。
西行の庵跡。ここで3年ほど過ごしたということですが、鴨長明「方丈記」の方丈もこんなだったかな…、と思いました。時代的にも同じころ。
花見にとむれつつ人の来るのみぞあたらさくらの咎には有ける
(花見の人がいっぱいきてちょっと困るんだけど、桜が悪いわけじゃないよね)
今でもこの庵の中で、西行さんがそんなこと言ってそう。
(春立つ日よみける)
何となく春になりぬと聞く日より心にかかるみ吉野の花
どうも西行さん、吉野の庵でずっと暮らしたというより、高野山にいたころに、立春過ぎるとソワソワして、吉野へよく来ていたのではないか…という話です。
吉野山梢の花を見し日より心は身にも添はず成にき
西行さんが使った水場、苔清水。
とくとくと落つる岩間の苔清水汲みほすまでもなき住居かな
横には芭蕉句碑
露とくとく試みに浮世すすがばや
芭蕉にとっては西行さん、あこがれの人だからなー。
句碑の下には、スミレが咲いていました。
この谷一帯では、杉林を開いて桜を植えている感じ。
桜が大きく育てば、さらにきれいになりますね。
苔清水の先に、四方正面堂跡。平地で見晴らしがいい場所。
ウグイスの声を聴きながら、しばらく休憩しました。
四体の仏像を祀るお堂が、廃仏毀釈までは建っていたそうです。
金峰神社から奥へ、西行庵~四方正面堂跡と一周して、また金峰神社に戻りました。
さあ、ここからは、下りです(うれしい)。
奥千本のバス停まで来たら、ちょうどバスが出るところで、乗れました。
登ってくるバスは1時間以上の待ち時間だったけど、みんな「バスで登る→歩いて下る」ので、下りのバスは空いてるんでした。
バスが通るのは、歩いてきた街道とは別の、山の中に切り開かれた林道。
細い道を猛スピードで下り、対向車が来るとバックしたり、ギリギリでのすれ違い。
車幅感覚がないと吉野山では運転できません。
バスのおかげで、一気に竹林院の前まで戻って来ました。
あの急坂を歩いて下ってきたら、膝が笑ったかもしれない。助かりました。
もう2時ちかく。目の前にあったカフェでお昼にしました。
うどん。デザートに吉野のくずもち。
疲れた身体に、染み入るように美味しかったです。
お昼を食べたあとは、今までずっと歩いてきた街道から外れました。
目指すは、如意輪寺。
尾根から、東側の谷へと下っていく未舗装の散歩道を行きます。
この道も、どこを見ても桜、桜。
↓中央部を拡大。
さっき行った上千本・奥千本のほうかしら。
公園になっています。広々してあまり人がいなくて、いいところ。
今までは街道から「見ていた」桜。
ここは、その桜の真ん中に入っているかんじ。
ここは、中千本のど真ん中。
落ちている花びらは、いろんな色合い。
如意輪寺へ、どんどん、谷を下っていきます。
地図を見ると、街道沿いに金峯山寺などの社寺が連なってますが、如意輪寺だけ少し離れた場所にあります。
その間には谷がありました。
谷底の川。
谷から見上げれば、この先の山の中腹に、桜に包まれた如意輪寺。
分かれ道。中央の道は川沿いに下る、吉野駅への帰り道。
如意輪寺へは、右手の道を登っていきます。
青空。
小雨の予報だったけれど、晴れてきてよかったです。
如意輪寺への道は、人も少なく、鳥の声だけ。
如意輪寺に到着。
後醍醐天皇の勅願寺です。
本堂。
本堂脇。大きな木は、楠木正行お手植えの木斛(モッコク)だそうで。
樹の下の石は「後醍醐天皇腰かけ石」だそうです。
至情塚。
楠木正行の妻にという話があった弁内侍が、正行討ち死にの後、菩提を弔うために出家。その時に髪を埋めた場所…という話ですが、史実は不明。
猫不動…ってのは、ネコちゃんのおみくじ。
寺務所があって、この奥が庭園。
後醍醐天皇・御霊殿。
中に天皇自作の木造があるそうです。
宝物殿。
楠木正行が辞世の歌を刻んだ、本堂の扉とか。
死を覚悟して戦いに向かう父・楠木正成との「桜井の別れ」の場面。
とまあ、後醍醐天皇・楠木正成・正行だらけのの寺。
山あいに、お庭が広がっています。
もうシャクナゲが咲き始めていました。
枝垂れ桜も多くてきれいです。
多宝塔。
そしてお寺の奥には、後醍醐天陵。
通常、天皇陵は南向きなのに対し、ここだけは北(京の方角)を向いているそうです。
それでは、帰ります。下り。
さっきの谷を通る「ささやきの小径」を歩いていきました。
谷から、左右の桜を見上げながら…
川に沿って下ります。
夕方ですし、この道を歩く人はほとんどいませんでした。
静かな里山の風景です。
そのうち、道は竹林や杉林になりました。
何かの苗木を育てている場所がありました。
遠くてよく見えなかったけど、吉野で育てるといったら、やっぱり桜じゃないかな。
鬱蒼とした吉野杉の林を、下っていきます。
ロープウエイが下ってくるのが見えてきました。
ロープウエイから七曲りの桜を上から見るのもいい眺めだったでしょうね。混んでるでしょうけど。
4:15 ついに吉野駅に到着。
吉野駅から、あっちこっち見ながら、最も奥の西行庵まで、4時間半。
帰りはバスも使ってお昼食べて如意輪寺行って、3時間半。
8時間かけた、実に壮大なお花見でした!
再び吉野川を渡って、橿原神宮前へと戻ります。
吉野は混んではいましたが、平日の朝早い時間から動き始め、登りのバスも使わなかったから、混雑で待ち時間が生じる場面もなく、自分のペースで動けました。
昼と夜、吉野への2往復の電車も、なんとか座れました。
吉野山の桜、素晴らしかったなあ…
紅葉の時期もいいだろうなあ…
と思っていましたら、西行のこんな歌がありました。
吉野山こぞのしをりの道かへてまだ見ぬかたの花をたづねむ
去年と違う道を通って、まだ見ていない花を訪ねよう…って。