「あずさ」に乗って、信州へ。
甲府を過ぎると、木々の紅葉がよりきれいになり、繊細な黄色い葉のカラマツ林が印象的でした。
茅野の駅で降りて、レンタカーを借りました。
縄文時代の土偶が多数見つかったり、国譲りの神話にも登場する、古代から栄えた地。
今日は諏訪大社・四社めぐりです。
諏訪大社は、国譲り神話で、建御雷神に国を譲ってこの地に住まうことにした、建御名方神が祭神。
その「四社」とは、上諏訪の上社(前宮・本宮)、下諏訪の下社(春宮・秋宮)。
もともと、上諏訪神社と下諏訪神社という二つの神社だったのが、明治になって一つになったそうです。
四社めぐり1番目~上社 前宮
国道に沿って、鳥居がありました。
登っていくと、次の鳥居は銀杏の黄葉に包まれてた。
さらに登っていくと、水の音がしてきました。
水眼(すいが)という清流で、御手洗川として、ここで身を清めたそうです。
さらに登ると、前宮の本殿がありました。板塀で囲まれています。
後で知ったのですが、四社のうちこの前宮だけ本殿があり、諏訪造りではなく、様式が違います。
もともとは上社本宮の「境外摂社筆頭」であったということで、成立が異なるようです。
この板塀の周囲に、諏訪大社の特徴である「御柱」が四本、立っています。
社殿の右手前に「一之御柱」。17mと、見上げる高さ。
樅の木。枝を落として樹皮を剥いだだけ、白木のままです。
古代の掘っ建て小屋の「柱」は、まさにこうだったでしょう。
社殿の左手前に「二之御柱」。
社殿左奥にある「三之御柱」も写っています(写真の右奥)。
「四之御柱」は、社殿の右奥。
社殿の右手前から、時計回りに一⇒二⇒三⇒四、となり、柱はだんだん短く細くなっていきます。(気のせいかと思って、後で調べてみたら、やっぱりだんだん小さくなるんだった)
各御柱の上には、紙垂がついています。
御柱祭は6年に一度。前回は2022年でしたので、また柱は新しい感じです。
御柱祭で曳いてくるので、下になった側は傷がついています。
傷がついた側(写真右)は後ろにして、建ててありました。
振り向けば、かなり高い場所に登ってきていました。
ここは、諏訪盆地を見下ろす場所。
高台で豊富な水や日照が得られる良き地で、御祭神が最初に居を構えられ、諏訪信仰発祥の地と伝えられています(諏訪大社サイトより) とありますが、納得です。
今いる前宮から、次に行く本宮までは、徒歩30分ほど。歩いて向かうことにしました。
盆地を見下ろす高台の縁に沿って、歩いていくかんじです。
古くからの道なので、道端にはいろいろなものがありました。
中世の供養塔。
きれいな紅葉のむこうに、盆地を見下ろします。
古くから続く集落が点々と。
この地域の古い民家では、銀色の控えめな棟飾りをよく見ました。
屋根の下に、こうやって一文字、入っているのもよく見ます。
これは「龍」とわかりますが、読めない字も。
「神長官守矢邸跡」という場所にきました。
守矢家というのは、代々、上社の神祇官の長官として、祈祷と政務事務を担ってきた家だそうです。その屋敷跡。ちょっと見ていきます。
写真左側の特徴的な建物は資料館で、右側が守矢家の邸。
諏訪では、資料館や公民館等の公共機関も、「白木の柱」を強調したデザインが目立ちます。
資料館の奥のほうには、小さな社がありました。
「みさく神」と書いてありました。
諏訪では、社があれば、四隅には御柱を建てない訳にはいかないのか…
↑写真左隅、栗が大量にお供え(一帯は栗など、大きな樹がたくさんありました)。
この四本の柱も、よく見ればちゃんと、一から四まで順に短く・細くなっています。
「神長官守矢邸跡」を後にします。
石碑か供養塔か、いっぱい並んだ場所もありました。
もう少し歩いていくと、今度は「空飛ぶ泥船」というオブジェ。
きれいな紅葉の中、不思議なものが浮かんでいるのが、妙に面白い。
引き続き高台を歩いてきます。
石清水。天下の名水だそうです。
私も一口、いただきました。
四社めぐり2番目~上社 本宮
三之鳥居に到着。
二之鳥居。ここから境内。
小さな川にかかる小さな橋があって、手水鉢。
境内に入るとすぐ、本宮の「二之御柱」がありました。
ここの柱も前宮同様、2022年の御柱祭で立てられた物なので新しいです。
(上社本宮は境内が広くて、一、三、四の御柱は確認しませんでした)
拝殿はまだ先です。
これは「入口御門」。隣のエリアは修復工事中。
入口御門から「五間廊」という廊下が伸びていました。
一口御門、五間廊、拝殿、神楽殿など江戸時代の建築(重文)が多数。
拝殿。本殿はなく「背後の山がご神体」という、古来の形。
この拝殿は「諏訪造り」という建て方で、左右に「片拝殿」。
一之鳥居が見えます。こっちが正面らしい。
写真手前は、長野でよく見た「りんごのおみくじ」。
赤いリンゴも黄色いリンゴもあります。
時節柄、菊の展示。その向こうは、神楽殿。
神楽殿では、大みそかにだけ、この江戸時代の大太鼓を打つそうです。
また歩いて、前宮に戻ります。
帰りは東向き。八ヶ岳が見えてたことに気がつきました。
八ヶ岳を見ながら、盆地を見下ろしつつ、県道を歩いていきました。
途中、神社があれば、やっぱり御柱。
上社から、今度は下社へと、車で移動します。
諏訪湖のいちばん南に出ました。
SUWAガラスの里。
ガラス製品を観賞しつつ、ちょっと買い物。
五一わいん、地元の「黒もじ茶」とか。
湖畔を進んで、高島城。
今は湖岸から少し離れていますが、築城当時はきっとこの下まで諏訪湖がきていたはず。
城跡は、公園となっています。
お城へと登る道、紅葉が鮮やかでした。
高島城からほど近いところには、上諏訪駅。
湖畔は片倉館、北澤美術館、間欠泉センターと賑わう所ですが、今回は通過。
諏訪湖畔を半周して、諏訪湖の北端から少し山に入ると、下社です。
四社めぐり3番目~下社 秋宮
ご神水ならぬ、御神湯が流れてました。
さすが温泉地。
神楽殿。
狛犬は、青銅製では日本最大とのこと。頭が小さくて、筋骨隆々です。
神楽殿のしめ縄。すごく大きい。
拝殿は、神楽殿の背後にありました。
上社本宮と同じく、左右に片拝殿が並ぶ、諏訪造り。
諏訪四社、どこもこの紋。
お花が3本、みたいで可愛いのですが、梶の葉だそうです。
秋宮の「一之御柱」。
上社と異なり、紙垂がついていません。
上社より、年数を経たような色をしているのは気のせいかしら。
(上社も下社も御柱祭は同年開催なんですが)。
林の中、足元が囲ってあるのが「三之御柱」。
ぐるっと廻って、拝殿の後ろに来てしまいました。
拝殿の奥に見えるこの茅葺きの建物2棟は、「宝殿」。
位置的には本殿ですが、本殿ではなくて「宝殿」。
下社も上社本宮同様、ご神体を祀る「本殿」はありません。
じゃ「宝殿」には何があるのかというと、「依り代」があるそうです。
「神さまがいつもいる訳じゃない。けど、なんかの時に神さまが降りてくる場所はここだよ」、ってことね?
宝殿が2棟あるのは、御柱祭同様、6年ごとに建替えをするそうです。
伊勢神宮の本殿だと古いほうは壊しちゃうけど、ここは古いほうもそのまま建てておくのですね。
で、6年経つと、空き家にしてた古いほうを壊して建て直し、引っ越すスタイル。
さらに裏に廻って、拝殿右奥の「四之御柱」。(写真手前)
境内の脇には、安産祈願の柄杓が多数、奉納してありました。
お産が、水が流れるが如く済むようにと、ブリキの底抜け柄杓でした。
駐車場へと戻ります。
ここも上社同様、諏訪盆地を見下ろす立地でした。
諏訪盆地の東の入り口に上社があり、西の入り口に下社がある感じ。
秋宮から春宮までは1キロほどですが、夕方近いので、車で移動しました。
春宮の手前に、下馬橋。
今は川が埋め立てられてしまい、道路の真ん中に橋だけ残ってヘンテコですが。
ここですべての参拝人が下馬を求められた場所。
四社めぐり4番目~下社 春宮
秋宮そっくりの狛犬がいますが、ややマッチョ感は少ない。
秋宮と同じく、神楽殿に大しめ縄。
神楽殿の奥に諏訪造りの拝殿があるのも、そっくり。
春宮の「一之御柱」。
拝殿奥に2棟並んだ宝殿があって、6年ごとに建て替えるのも、秋宮と同じ。
安産祈願の底抜け柄杓も、秋宮と同様に。
春宮と秋宮、細かい配置や大きさなど、ちょっとした違いはあっても、基本構造は同じでした。
春宮と秋宮には、神様が半年ずつ滞在されるそうなんです。
2月~7月には春宮、8月~1月は秋宮。
そんなわけで、下社の春宮・秋宮は似通った構造・雰囲気ですし、関係も対等。
上社の本宮と前宮が、元々は本社/摂社であった関係とは、ちょっと異なります。
春宮の脇には、川が流れていました。
楓がとてもきれいです。
川の中洲にあった、中洲神社。
もちろんここにも、御柱が四本。
橋を渡って、川の対岸へ向かいます。
そこに、「万治の石仏」がありました。
素朴でおおおらか、とても不思議な石仏です。
1687年のものということです。
首だけ別に乗せてあるようです。
胴体の岩、正面以外は自然石のままです。
これで、諏訪大社四社めぐりを終えました。
最後に、春宮から山のほうへ、しばらく走った所へ。
木落し坂。
御柱祭のときに、人をいっぱい乗せて飾り立てた御柱となる木を落とす坂。
見上げれば、すごい急坂でした。
まあ、これくらいの勾配がなければ、木は落ちていかないか…
危険なので立ち入り禁止となっています。
今夜は、諏訪から北へ、山に入って美ヶ原の上にある王ヶ頭ホテル泊です。
山々の黄葉を見ながらドライブ。
赤はあまりなく、黄葉の山。
国道142号線を通ります。このルートは、諏訪から信濃追分へと行く中山道の道と重なります。和田峠をトンネルで通過し、その先に、中山道・和田宿がありました。
もう暗くなってきているので、車窓から見ただけですが。
下諏訪宿の次の宿場が、この和田宿。宿場間の距離は約23㎞で、中山道で最長。
そして和田峠は、中山道の最高地点。
まさに「中山道最大の難所」。
ですから、旅人は必ず下諏訪、あるいは和田宿で泊まってから出立したので、両宿場はたいへん賑わったということです。それに、一帯は黒曜石の産地ということで、古代から人の往来はずっと続いてきたはず。
が、それほどの難所故、明治になって鉄道を通す時に、中央線も信越本線もここを避けたのでしょう。今は静かに、昔の面影を伝えています。
和田宿からは国道(と、中山道)を離れて、美ヶ原へと登る、狭い道へ入りました。
カラマツと白樺の林の中を、登っていきます。
夕方暗くなり、少し雨も降ってきました。晩秋のこんな時間に山に登っていく車は他になく、対向車もまばら。苦手なヘアピンカーブもゆっくり走れてよかったです。
最後はビーナスラインと合流して、真っ暗になりかけた美ヶ原に到着しました。
突然灯りの着いた建物が出てきた。
山本小屋ふるさと館。
ここに車を停めます。
標高約1900m。気温は10℃を下回り、風がビュービュー吹いていて寒い!
慌ててコートを着ました。
(王が頭ホテルからは、予め、「ダウンコートや帽子、手袋を」とご連絡をもらっていました)
視界はあまり効かないけど、遠くの山が見えました。
寒いので、すぐに山本小屋ふるさと館の中に入って、王が頭ホテルのお迎えの車を待ちます。
王が頭ホテルは国立公園の中。一般車通行止めの場所にありますので、直接行けない。
やがてお迎えが来て、遮るものの何もないダートの道を、ホテルまで運んでもらいました。
10分ほどの時間でしたが、見える夜景や、美ヶ原のこと、いろいろ教えてもらいました。
(王ヶ頭ホテルのスタッフの皆さん、みなよく話しかけてきてくれます)
王ヶ頭ホテルに到着。
荷物を置いて、夕食の時間まで、ゆっくりします。
標高2034mの山頂で、何の装備も持たず、風雨をよけて過ごせるなんて…と。
こんな嵐の夜には特別に感じます。
しかも、ロビーは広く、ドリンクあり、本もあり、至れり尽くせりのリゾートホテル。
やかんの笹茶。夜何回か飲んで、温まった。
部屋から見えた、西のほう。塩尻~松本の夜景。
南側。左は諏訪の灯り。右にボーっとあるのは、なんと伊那の夜景。
ここから伊那なんて、とっても遠いのに。
(この夜は、そのうち風雨が強まって夜景も見えなくなりました)
お食事の時間です。
白樺の樹液なんてものを初めて飲みました(右手前)。
甘い爽やかな香りがします。実際飲んでみるとサラっとして甘さないのだけど。
王が頭ホテルは前身は山小屋だったということで、その時代から必ず出しているという、イワナの塩焼き。
こちらは、信州サーモン。
お料理は、地元の食材メインで、野菜もたっぷりでした。
お腹いっぱいになりましたが、デザートまで美味しくいただきました。
夕食後は、美ヶ原の自然を紹介するスライド上映会に行きました。
晴れていれば、星空の観察会があったのですが、今夜は無理。代わりに星空についてのお話もありました。
お風呂。
「こんな寒い、嵐の日は、露天風呂は無理だよな…」と思いつつも行ってみると、なんと寒くない!音はすごいけど、ほとんど風も雨もこない。
立方体の一面だけが開いているスタイルの露天風呂で、風が吹き抜けない構造でした。
寒い嵐の日に、確かに露天にいるのだけれど、ぬくぬくと裸で温まっている…という不思議な体験でした。
ぐっすり眠ります。
次の朝。まだ一面雲に覆われていたのですが、帰る直前には雲が切れて、お部屋から遠くまで見渡すことができました。
諦めていただけに、ちょっとでも眺望が開けると、とっても嬉しい。
本当はもう少し滞在して風景を楽しみたかったけれど…次の機会をチャレンジしたいと思います。(でも、このホテル予約取るのがなかなか大変で…)
帰りの送迎車から。まだ雲に覆われた牧場。
夏の間、遠くは群馬県の牛もここに放牧されるそうです。
なお、熊はエサがないので、王ヶ頭一帯には登ってこないとのこと。
山本小屋ふるさと館に戻ってきました。
だいぶ雲が切れてきた。
王ヶ頭ホテルが、写真右端に小さく見えます。
牛臥山という案内があったので、ちょっと登ってみます。
牧場の中を登っていきます。
カラマツ。
牛臥山頂上。王ヶ頭ホテルも見えています。
雲は晴れてきたものの、強風で、寒くて耳が痛い。
山本小屋ふるさと館に置いた車に戻り、山を下りま~す。