12:03に大洲を出た特急「宇和海」は、しばらくすると山に入ってきました。

大洲は山に囲まれていたのですね。

大洲城近くのスーパーで買ったおにぎりを食べながら。

 

大洲の次の停車駅、八幡浜。浜とついて海も近そうですが、駅からは見えませんでした。

松山からの普通列車は、この八幡浜駅止まりも多いようです。

この先八幡浜~宇和島は、普通列車はたまにしか通らず、なんと特急の方が本数が多い。

 

八幡浜を出てしばらくすると、広々したところに出ました。

(帰りに通った時、この開けた場所に、藁で作られた大きなマンモスがいるのに気がつきました。写ってないけど)

 

ウッディな卯之町駅に停車。卯之町駅を過ぎると、また山に入りました。

 

このあたりから宇和島まで、海に落ち込む急な斜面が続き、トンネルが多いのですが、トンネルを抜けると一瞬、眼下に海が光っているのが見えました。

(↑これは帰路、陽が傾きつつある時間の写真)

 

卯之町の次の停車駅、伊予吉田駅。

 

宇和島が近づいて、海も近くなってきました。

 

宇和島駅、到着。大洲から40分ほど。

 

アンパンマン宇和海でした。

 

ホームにあった、この牛みたいなのは何だろ?

 

駅前に出ると、ここにも牛。これは闘牛。

 

宇和島駅前。

 

なんだか南国の雰囲気でした。

 

あ、昨夜松山で行った、宇和島鯛めしのお店の本店があった。

 

アーケードに入りました。広々しています(人が少ないこともあり…)。

アーケード街ををここで右に曲がると、宇和島城方面です。

 

アーケードの中に、さっき宇和島駅で見たのと似たようなお面。牛のような鬼のような。

 

これは「牛鬼」なんだそうです。たくさんの人が屋台みたいにひく、まるで巨大獅子舞。

(宇和島観光ガイドのサイトより)

宇和島のお祭りでは、牛鬼のパレードがあるそうな。

 

マンホール蓋には闘牛。闘牛も盛んなのですねー。

 

宇和島城の建つ、城山の入口にきました。

 

登っていきます。

昔の階段のサイズだと、1段が大きすぎて、登るの大変。

石段の右端は石を積んで段差を細かくしてあり、登りやすくなっていました。

 

井戸丸櫓の跡

 

石段の先に、天守がチラリと見えてきました。

 

時代によって積み方の異なる石垣。

右隅は野面積み。

まん中あたりは、鑿だけで加工した「切込ハギ」。

左上の3分の1ほどが、玄翁を使って加工した「打込ハギ」

と、だんだん時代が下ります。

 

「げんのうって何だったっけ?」とか考えながら登っていくと、天守前に出ました。

(ハンマーみたいなのですね。だから「打ち込み」という名称になる)

 

現存12天守のひとつ、宇和島城。

唐破風のついた玄関は、平和な時代に築かれたからこそ、ということです。

 

天守の建つ高台は、広く平らな場所。かつては建物(御台所や櫓)がありました。

 

そこから、宇和島の町と海を見下ろせます。

 

当時はこのように堀を造り、海に浮かぶ城だったそうです。

今はこの五角形のお堀部分が、みな道路となっていますし、海も埋め立てられて市街地となっています。

海が埋め立てられたのは、近年じゃなくって、幕末にはすでに埋め立てられて田んぼとなっていたそうです。

 

では、天守に入ります。

あまりに開放的。どうぞどうぞ、とお客様を迎える玄関です。

お城というより、お屋敷の入口。

 

もともとは藤堂高虎が望楼型の天守を造ったのを、宇和島伊達家が1660年台に造りなおし。

もうその頃には、戦うための建物として造る必要はなくなってたんですね。

 

玄関の上には、紋が3つ並んでいます。

上から、九曜星、竹に雀、竪三引両紋(たてみつびきりょうもん)。

どれも伊達家ゆかりの紋だそうです。

 

中に入ると、1階の梁の上に
大洲城と同じく、魔よけの破魔矢が置いてありました。

 

階段。2階には、障子があります。

お城に障子があるのはここだけなんだそうで、やはりお城というよりお屋敷っぽい。

 

3層め、最上階。簡単な天井が貼ってあります。

宇和島城には、石落としも狭間もありません。

ただ、この3階の窓の格子の断面が五角形。

この角度をつけることで、四角形よりも広範囲に矢を放てる工夫だそうです。

(姫路城でとった写真を見たら、あそこも五角形になってた)

 

窓から屋根瓦を見ると、桃の形の軒飾りがありました。

 

係の人に聞いたら、1階の屋根瓦にも桃がありました。

桃瓦といって、魔よけの意味があるそうです。

現存天守で桃の飾りがあるのは、ここ宇和島城と犬山城だけなんだそうです。

(お城にいる方々、本当に知識豊富です)

 

宇和島城天守を出たところで、名物でおやつ休憩。

 

あちこちに残る石垣を見ながら、降りていきます。

北から登ってきたのですが、帰りは南側に降ります。

 

 

この写真に映る石垣の下のほうは、江戸時代以前に造られた可能性があるそうです。

その根拠となる、積み方の説明がされていました…石垣も奥が深そうです。

 

 

南側に降りました。

この門は、上り立ち門と呼ばれ、現存する薬医門としては最古(慶長期)と。

 

宇治島城から少しあるくと、天赦園に到着。

宇和島伊達家の、お殿様の庭園です。

 

残念ながら、建物には入れませんが。

 

池が大きいのが印象的。

庭園の半分ちかくを池が占めているかんじ。

 

向こうの山の借景も美しい。

 

「上り藤」。橋の形の藤棚。

 

咲くとこんなになるのか~。壮観。

 

「竹に雀」紋の伊達家だけに、様々な種類の竹が植えてありました。

 

天赦園から見た、宇和島城。

何故か園内に郵便ポストが置いてありました。(使えない)

 

天赦園の前に、宇和島市立の伊達博物館。

ここも寄りましたが、写真撮影禁止。なんだか展示方法も古いかんじでした。

 

今日は、お城二つと、お城ゆかりの庭園二つに行ったわけですが。

その入場料。

 大洲城 550円

 臥竜山荘 550円

 宇和島城 200円

 天赦園 500円

 伊達博物館 500円

 

宇和島城、安すぎないか?ありがたいことではあるけれど。

いちばん文化財としての価値が高くて修繕費もかかりそうなのですが。

 

 

駅に戻ります。この道路も、お堀だったかもしれません。右側が城山です。

 

この、ピザ・ロイヤルハットというお店、大洲でも見ました。

ピザハットよりも高級ピザを売ってそうな名前です。

 

 

宇和島駅に戻ってきました。

「しまんトロッコ」と書かれた、みかん色の列車が停まっていました。

宇和島って終着駅かと思ってたのですが、高知までまだ路線が伸びていました。

いつか四万十川とか、仁淀川とか、行ってみたいものです。

 

4時すぎ、帰りも特急「宇和海」で、宇和島を後にします。

宇和島は、暖かくて光がいっぱいで、いい所でした。

 

帰りの列車からも、あっちこっちにみかんの樹…

宇和島の周辺では、ちょっとした場所もみかん畑になっています。

 

 

列車は大洲に戻り、大洲を過ぎると、海廻りと、内子廻りとに分岐。

左側に分岐していく線路。朝はあっちから来た。

帰りは、内子経由です。

 

向こうの谷を、肱川が海へと流れていきます。

朝はこのあたり一面、肱川あらしの霧でした。


内子駅に停車しました。内子も、古い町並みが残る町のようです。

このルート、途中の新谷駅~内子駅の、わずか3駅分のみ「内子線」と呼ばれローカル線扱い。その前後は予讃線という、複雑で奇怪なことになっています。いろいろな経緯を経てこうなったようで…

特急は、全部この内子線経由。全線が高架。

古くからの人の流れは海廻りだったのを、スピードアップを図るために造られた路線みたいです。

 

松山平野に出てきました。海廻りの路線と、再び合流。

向こうに海が見えてきました。

今日は、内灘駅の夕陽はどうだったかしら。

 

宇和島から1時間20分ほどで、夕方の松山駅に到着。 

松山駅は、高架化の工事中のようでした。

後ろに高架のホームができると、この眺めもどうなることか。

 

松山駅前から、いよてつの路面電車でホテルに帰ります。

路線図を見ると、路面電車はぐるっとお城の周りを一周しています。

最短ルートでなくて、逆向きの電車に乗っても、大回りして目的地(大街道)に着きます。

運賃は均一180円だし。

 

ならば、と逆回りの電車に乗りました。

たまたま、とってもレトロな車両でした。

 

「昭和28年 ナニワ工機」と書いてありました。

 

このベルの「チーン」っていう音も良かった。

 

お城の北側を東へ→道後温泉のそばを南下→西に向きを変えて。

ぐるりと大回りをして、大街道の電停に到着。

 

新しい車両や古い車両や、いろいろ混ざって、みかん色の電車が走ってます。

 

今日の晩ごはんは、この大街道で探します。

 

松山の繁華街。

 

気軽な居酒屋さんで。

 

昨日が宇和島鯛めしだったので、今日は松山の鯛めし。

2人前では、さすがに鯛一尾まるごとは入りません。

 

B級グルメ、じゃこ天カツ。

 

明日は松山城に行く予定。