松山。

朝、まだ暗いうちに、大街道電停から路面電車に乗りました。

つい「市電」って言っちゃうのですが、市営じゃなくて「伊予鉄道」なんですね。

 

13分で、松山駅前に到着。

 

「松山驛」の表示がいい雰囲気です。

駅前には大阪方面への高速バスも並んでいました。

 

松山驛構内。なぜキミがいる?

 

 

今日は、大洲を経て、宇和島まで列車で往復する予定です。

途中の大洲まで、海沿いを通る伊予灘線/内陸の内子線経由、2ルートがあります。

せっかくなので両方乗りたい。

行きは、海沿いを行き、帰りは、内子経由の予定。

 

伊予灘線(正式には予讃線)。

一両だけのディーゼル車。このルートは普通列車のみです。

終点の大洲まで2時間かかります。

乗ってみて、「なんとトイレがない!!」と慌てましたが、途中の行き違い駅でしばらく停車することがわかり、少しだけ安心しました…。

 

6:55出発。

しばらく走って見えてきたのは、坊ちゃんスタジアム

ヤクルトスワローズの優勝記念碑があるそうな。

 

重信川と山。もうすぐ日の出。

 

伊予市あたり。田んぼがひろがります。

 

向井原という駅を出ると、内子方面との分岐です。分かれていく向こうの路線は高架。

 

分岐すると、民家が減って、だんだん山の中へ。

ちょっとした場所に、みかん畑も見られます。

 

線路はどんどん、山の中を下り続けました。

そして、海に出た!

伊予灘。海岸に沿って黒瓦の集落。

ここから当分、列車は海沿いを走ります。

山も迫り、少し高い場所を走るので、眺望は最高です。

 

伊予上灘駅。ここで行き違いのため、しばらく停車。

運転手さんがわざわざ「トイレは反対側のホームにあります」と案内してくれました(ホッ)。

たずねる前に案内してもらえると、安心します。

 

伊予上灘駅の次が、下灘駅。ホームからの夕陽の眺めで有名な駅です。

下灘駅では、車で来た人が何人も、列車の写真撮ってた(被写体になっちゃった)。

 

で、これが下灘駅からの眺め。

見えてませんが対岸は、岩国のあたりです。

 

たしかにこの路線の海沿いの駅の中でも、いちばん海に近い。

でも海の近さというだけなら、信越線の青海川の方が圧倒的に近いです。ここは駅と海との間に、道路がある分、遠くなる。

下灘駅の見どころは、やはり夕陽の時間なんでしょうね。ここで夕陽を見たら壮観なんだろうなー。

 

下灘駅から、次の串駅の間。

 

串駅と、隣の喜多灘駅の間。

このあたりの集落の、黒瓦の入母屋屋根の上には、よく立派なシャチが載っています。

地域によって民家の棟飾りも少しずつ違いますが、だんだん消えていくのかなあ…

 

喜多灘駅。

 

まだまだ海が続きます。

 

みんな海を見てる。

 

伊予長浜駅。

 

ここでは行き違いのために、10分以上という長めの停車になりました。

 

トイレ休憩を兼ねて、駅舎の外に出てみました。

 

四国のポストの色は自由ですね?(昨日の瀬戸田のポストは黄色かった)

 

行き違いにやってきたのは、こんな列車。

「鬼の棲むまち 鬼北町」 と書いてあります。怖ろしげなんですが、どこでしょう…?

(後で調べてみたら、宇和島のさらに先、四万十川上流の山の中の町でした。心そそられます。)

 

 

伊予長浜駅を過ぎると、列車は海を離れて左に90度向きを変えます。

ここからは肱川ぞいに内陸へと向かうのですが……

おおっ?煙?なんだ???

煙じゃなくて…まさかこれが、肱川あらし!?

 

肱川のほうから、白いモヤがもくもく湧きあがり、海の方向へと、どんどん流れていきます。

これが肱川あらしに違いない!

 

(大洲市HPより)

10月頃から翌年の3月頃まで、晴天の日には冷気に霧を伴った「肱川あらし」と呼ばれる強風が発生します。

肱川あらしとは、晴れた日の朝、上流の大洲盆地で涵養された冷気が霧を伴って肱川沿いを一気に流れ出すという珍しい現象です。
その強風はゴォーゴォーとうねりをたてて可動橋として知られる長浜大橋を吹き抜け、大規模な時には霧は沖合い数キロに達し、風速は長浜大橋付近において10m以上が観測されます。

 

ただの霧とどう違うんだろう?って思ってたけれど、もくもく湧いて、海へ海へと動いていくダイナミックなところが特徴的ですね!

 

 

肱川あらしという言葉は聞いていたものの、特定の条件が必要で(前日が暖かく、次の朝に冷え込むなど)、まさか見られるなんて思ってなかった。本当に驚きました。

 

上流に行っても、霧は変わらず。いや、どんどん濃くなって、視界が効かなくなっていく。

気がつけば、青空はすっかり肱川あらしに呑み込まれていました。

 

ところで、車内に運賃表が貼ってあって気づいたのですが。

松山からの運賃。

大洲より一つ手前の「五郎」までは、1110円。

でもその先の大洲まで乗ると、970円。

余分に乗ったのに安くなっちゃいます。

大洲で降りると、内子線周りの最短距離で計算するので、逆転現象が起こるようです。

 

 

8:50大洲着。降りました。

ここで、内子周りの路線と合流するので、次駅は「新谷」「五郎」と二つ。

 

乗ってきた列車は、ここからまた、松山へと折り返していくようです。

 

伊予大洲駅ホーム。

 

鉄骨だけど木の板が張られた、レトロな跨線橋。

 

伊予大洲駅の外に出ました。

肱川あらしの霧が、一面にすっぽりと町を覆っています。

暗くて、冷えます。

 

観光案内所で「これって肱川あらしですよね?」と確認してみましたら、今見てきた肱川河口あたりの様子を聞いて「それだったら、肱川あらしですね」と。

たしかに、この大洲駅周辺の様子だけでは、単なる霧なのか、肱川あらしなのか、判断がつきにくいのかも…。

 

大洲の駅前。鳥居が建っています。

 

大洲の町を、お城の方へと向かいます。

肱川を渡る、肱川橋。向こうの丘の上、霧の中に、かすかに天守の姿。

 

くねくね肱を曲げたように曲がってるから、肱川なんだそうです。

確かにこの図を見ると、肱川って曲がってばかりで、なかなか海に向ってないように見える…

平らな土地のようです。

 

肱川を渡って、川に沿って伸びる道は、古い大洲の中心街。

この街道は、西の大洲城と東の臥竜山荘とを結んでいます。

まずは、東、臥竜山荘の方へ。

 

旧大洲銀行があった場所みたいです。

 

おおず赤煉瓦館。雑貨とか売ってました。

 

古い建物がたくさん残っています。

 

ポコペン横丁。ここは自然に残っているのではなく、昭和レトロなものを集めてきてある場所。

確かにレトロな看板とかオート三輪とかあったのですが、ポコペン横丁の敷地外、その背後の家々が、昭和レトロどころか崩れ落ちそうで怖い…

 

おはなはん通り。

昔ドラマ「おはなはん」のロケが行われたそうですが、さすがにどんな話だか知らない。

大洲のこのあたりは、こうして古い家並みが残っているということで「小京都」なんだそうです。

 

街道のつきあたり。

肱川がU字型に蛇行する場所の高台に建つ、臥竜山荘に到着しました。

歴代の大洲のお殿様が愛でた景勝地です。

 

今建っている建物は明治時代の豪商が建てたもの。(重文)

凝りに凝った数寄屋造り。

 

縁側の釘ひとつにも、作者があります。肱川を見下ろす眺望。

 

お座敷の内側から見るとこのような欄間。

 

外から見ると、こう。

 

母屋を、お庭から振り返ったところ。

 

石灯籠の笠の白い部分は、「ぼたん苔」という苔なんだそうです。

生育の遅い珍しい苔と書いてありました。

 

崖に横穴を掘って造った、氷室もあります。

 

お庭の先。

肱川に突き出す崖の上ギリギリの場所に、さらにもう一棟、小さな庵。

不老庵。(これも重文)

夏は涼しそう。

 

崖の上に突き出すような、架け造り。

 

さらに柱の1本は、なんと槙の木をそのまま利用。

幹から出た枝には葉が茂っており、確かに生木です。

さすがに本体部ではなく、軒先を下から支える支柱として。

ずっと樹は伸びもせず枯れもせず、柱として役立ってくれているそうです。

 

建物の中は網代貼りの船底天井。

建物全体を舟として見立てているそうです。

臥竜山荘、全体が凝りに凝った、風流で結構な建物でありました。

 

山荘を出て、戻ります。

 

このあたりの民家の屋根に

 

さきほど列車の中から見た民家と同じく、シャチの棟飾りを見つけました。

立派です。

 

臥竜山荘のすぐ上に、大洲神社がありました。

 

今日は十日えびす。

 

屋台も出て、地元の人が訪れています。

看板に「神撒餅 神大鯛撒き を実施します」と書いてありました。

「餅まき」はわかるのですが、「鯛まき」とは??

 

さすが、鯛が名物である土地柄。とはいえ、生きた鯛を撒くわけじゃないだろう…

鯛の形のお菓子でも撒くのかな?と思って、あとで調べてみました。

 

商売繁盛や家内安全などを願う大洲神社(愛媛県大洲市大洲)の「十日えびすまつり」中日の10日、名物行事「大鯛(おおだい)まき」があった。大きなタイがもらえるとあって、大勢の参拝客が境内に集まり、新年最初の運試しに挑戦した。
 まつりは9~11日の3日間で、この日が「本えびす」。神社は体長約80センチ、約7キロの天然ダイ2匹を用意した。
 通常の餅まきや菓子まきの後、谷本登位宮司(78)が「鯛」と書かれた紅白餅を男女別に1度ずつ投げると、参加者がこぞって手を伸ばし、境内は激しい争奪戦となった。

(愛媛新聞社)

 

鯛をそのまま撒くわけじゃないけど、本物の鯛をもらえるんですね。

記事の写真では、見事鯛をゲットした人が、立派な鯛を掲げています。

大相撲の優勝力士が掲げてみせる、あんな鯛です。

 

鯛撒きには遭遇しませんでしたが、大洲の町の氏神様にご挨拶をして、町へと降りました。

 

町なかのホテル。

大洲は、大規模なホテルを建てるのではなく、町なかの古民家をホテルとして改装し、観光客を迎えています。

今昔の建築美が織り交ざった古民家ホテルは、歴史的な邸宅が改装されたもの。邸宅時代のしつらえを活かし、それぞれに異なる意匠を凝らした空間は、懐かしさと安心感を与えてくれる。まるで大洲の城下町で暮らしているかのような、特別な体験ができる。

(大洲市公式観光情報)

古民家の再生にもなり、町でご飯を食べることにもなり、なかなか素敵です。

 

臥竜山荘から、大洲城へのほうへと歩いてきました。

お城の前にも、古民家のホテル。

 

お城が見えてきました。

 

 

天守は、2004年に木造で伝統的な工法のとおり復元されたもの。明治まで建っていた天守の写真や図面があり、正確に復元されているそうです。

で、天守につながるふたつの櫓(写真手前がその一つ)と、あと城下にある二つの櫓、合わせて櫓4棟は江戸時代からのもの。

 

天守前の広場から。10時半ごろ。肱川あらしの霧が、晴れてきました!

 

肱川を渡っていく列車も見えます。

 

天守に入ります。

入口は、天守に連なる櫓のひとつ、現存する「台所櫓」。

 

台所櫓から、復元天守に入りました。梁の上に、大きな木造の「矢」が置いてあります。

係の方に聞きましたら、魔よけの破魔矢として、置いてあるそうです。

 

復元天守1階。2階まで吹き抜けになってるのが珍しい。

ここが、日本で唯一、お城に泊まることができる「大洲城キャッスルステイ」の部屋。

 

<大洲城キャッスルステイ>

法螺貝の音が響き、鉄砲隊がお迎え・静寂の天守に泊まる

格別な地産で楽しむ夕餉・数寄屋建築の傑作「臥竜山荘」ので朝食(←さっき行った所だ!)

 

ということで、宿泊はお一人55万円~、2名様から受付なので、最低でも110万円は必要ですね。冷暖房がないので、夏と冬は受け付けていないそうです。残念。

 

四層の天守の最上階からの眺め。

 

天守に連なるもう一つの現存の櫓、高欄櫓。

 

高欄櫓の中。入母屋屋根の裏側、土壁と瓦がのぞいています。

 

城の外からもよく見えた、石落とし。

 

出たら快晴になっていました。

天守の左が高欄櫓。右が台所櫓。

 

楽しかった大洲城。帰ります。

 

入口の枡形もそのまま残っていました。

 

大洲駅に帰る途中、肱川沿いにある、現存の櫓、3つめに寄りました。

苧綿櫓。

中には入れませんが、すぐ前まで行けました。

 

目の前はすぐ川です。 

ゆったりと流れるこの川で、夏には鵜飼いもやるそうです。

 

マンホール蓋にも鵜飼い。

4つ目の櫓(三の丸南隅櫓)も、この近くだったのですが、列車の時刻がギリギリだったので行くのをやめておきました。

 

駅に向かいます。このあたりは昭和の商店街。

 

再び、肱川を渡ります。

朝はこの場所から、お城がかすかに見えるだけでした。こんなに近くだったのね。

↑さきほど寄った苧綿櫓も、左端に写っています。

 

また木造の家並みが残る古い街道を通って

 

大洲駅に到着。大洲って今までは名前も知らない町でしたが、来てみてよかった~!

 

大洲から、さらに宇和島へと向かいます。

今度の特急はアンパンマン列車でした。でも車両の中はごくふつう。

 

列車でもう一度、肱川を渡ります。

大洲城が見送ってくれました。