羽田から広島空港へと向かっています。

お天気は良好。

 

広島市街からかなり離れた山の中にある、広島空港。

広島だと新幹線を使うことが多かったので、今まで空港には縁がなかった。

今日はここから、車を借りてしまなみ海道へと向かいます。

 

しまなみ海道は、前に尾道から生口島まで、自転車で走りました。

今日はその続きのつもり。

 

山陽道で尾道まで行き、新尾道大橋。

尾道大橋と2本平行して架かっています。

(*運転してると写真撮れないから、本四高速のサイトからお借りしております。以下*のついた写真は同じ)

前回は自転車だったので尾道~向島間は渡船で渡りました。今回は橋。

 

向島を通りぬけ、因島との間にかかるのは因島大橋(*)。

因島大橋は、上下2段に別れ、車は上。

前回は自転車で下を通りました。

 

因島も降りずに通過。次の生口島との間は、生口橋(*)。

尾道大橋と因島大橋は吊り橋でしたが、ここは斜張橋です。

 

生口島で初めて高速を降りました。

車に乗って高速道路で島を通り抜けると、島旅をしているという気分に、ぜんぜんなりませんね…。

自転車だと、島の道を走ってから橋につながる坂を必死に登り、橋の上で風を感じ、下って、「次の島に着いたぁ!!」という実感があるのですが。

 

生口島。

海沿いのカフェの前を通った時には、前に来たときここでジェラード食べたな~って思い出しました。

カフェの先が、瀬戸田のまち。

前はここで名産の「タコのから揚げ」を食べてから、自転車ごと船で尾道に帰った覚えがあります。

 

今回は、まずは、港の近くの向上寺というところに、国宝の三重塔があるというので、行ってみました。

……が、車を停める場所が見当たらず。狭い道を登っていく先みたいなので、早々にあきらめました。

 

 

次に着いたのは、耕三寺。「変わったお寺」という漠然としたイメージだけありました。

浄土真宗のお寺ですが、1936年から実業家が母の菩提を弔うために建て始めたもの。

なにせ色が派手ですが、奈良や京都の多くのお寺も創建時はこうだったと思われ。

 

各地の有名なお寺の建物を模して建てられています。

五重塔は室生寺の塔、その左に写っているお堂は四天王寺金堂を模したものだとか。

コピーとはいえ、登録有形文化財となっている建物も多いようです。

 

孝養門。日光陽明門ぽい。

 

手前で見切れていますが、本堂は宇治の平等院鳳凰堂を模したそうです。

 

「瀬戸内の島にも文化財を」という理念のもと、ここには文化財も多数、収集されています。

境内のお堂に安置されている釈迦如来像(重文)。興福寺にあったものだそうです。

(その他の文化財は「耕三寺博物館」のほうに展示されていました。)

 

さらに、千佛洞というものがありまして…洞窟に入っていきます。 

 

閻魔様がいたり地獄図絵があって

 

そのうちに、仏様が現れ…

 

最後は見上げる限り一面の仏様。

 

で、登って地上に戻ると、巨大な観音像が迎えてくれます。

何かな何まで派手で過剰で、ちょっとキッチュな感じもするが面白い。

お寺に行って「面白い」っていう感想も珍しいかと。

 

さて、耕三寺はこれだけじゃなかった。

さらに高い丘に登っていくと、「未来心の丘」というエリア。

一面の大理石でした。

彫刻家、杭谷一東が耕三寺(博物館)の支援を受けて設計・制作したということです。

 

見上げれば、目に映るものは空と大理石だけ!

こんなにたくさんの大理石を目にしたのは初めてです。

 

見下ろせば、島と海と大理石。

 

大理石ってツルツル冷たいイメージでしたが、ここの大理石は少しざらっとした触感で、やわらかで暖かく感じました。よく陽が照って暖かかったためかもしれませんが。

 

向こうに見えているのは、さっき行けなかった向上寺の屋根と思われます。

ミカン色の橋は、高根島に渡る高根大橋。さっきこの橋あたりでUターンした。

 

未来心の丘にも、ミカンがありました。

 

耕三寺を出て、道の反対側には、耕三寺博物館。

先ほどの未来心の丘の杭谷一東の彫刻がここにも。白一色だけじゃなかった。

 

博物館は、収集された文化財が豊富に展示されていました。

鎌倉時代初期の阿弥陀如来像。(重文)

 

その胎内にあった願文。

吾妻鏡にも出てく鎌倉幕府要人の冥福を祈るための願文だそうです。

 

伊豆にあった、快慶作の阿弥陀所来像。重文。金箔がよく残っています。

このほか、この時は企画展として「宝船版画」をやっていて、こちらは大正~昭和にかけての庶民の文化のコレクション。

幅広くいろんな収集をしている博物館だな~って思います。

 

いろいろ面白かった耕三寺でした。

寺なのか?博物館なのか?って思いますが、寺全体を博物館として登録しているそうです(やっぱりよくわからない)

 

 

生口島は国産レモンの産地。ポストまでこの色!

 

瀬戸田のミカンを買って、旅行中のおやつとしました。

 

瀬戸田には、平山郁夫美術館もあるのですが、諸般の事情でそちらへは行けず。

次の島へと向かいます。

 

生口島から、多々羅大橋を渡って、大三島へ。愛媛県に入りました。

道の駅多々羅からの眺め。今渡った多々羅大橋が、目の前に見えます。斜張橋です。

向こうが、さっきまでいた生口島。

 

「サイクリストの聖地」の碑があり、ここまで走ってきたサイクリストが愛車とともに写真を撮っていました。

 

道の駅多々羅、いきなり巨大なひらめがお出迎え。

その下の水槽には、たくさんヒラメがいました。(ひどい写真ですが)

 

なんかすごいもの売ってた。サメの干物なんだそうです。

「サメ肌、触ってみて」と言われて触ると…確かにスッと滑る方向があり、その逆はひっかかって全く指が動かない。

 

ここでお昼ご飯にします。海に臨むテラスに席を取りました。

 

しらす丼。

デザートは、試供品のサメの干物…口の中が生臭くなったので、さらにミカン。

 

 

大三島には、式内社でもあり、伊予の国一の宮、大山祇神社があります。

道の駅から大三島を横断して、行ってみました。

 

広い境内。

 

境内には、楠の大樹が、ご神木として何本もありました。

「乎知命お手植えの楠 樹齢2600年」と書いてあった。

 

こちらは「能因法師雨乞いの楠 樹齢3000年の日本最古の楠」と。

 

拝殿です。

 

本殿の右手には、上津社。

 

左側には、下津社。

大三島の神様ですので、紋は「三」のデザインです。

 

十七神社。たぶん十七神が長屋形式で並んでる?

 

鎌倉時代の宝篋印塔がありました。重文。

松山に生まれた一遍上人が奉納したものだそうです。

伊予の国の一之宮が、松山とかじゃなくって大三島にあるというのはちょっと不思議な気もします。

 

大三島を後にして。今度は大三島橋(*)を渡って伯方島へ。

大三島橋は、しまなみ海道唯一の、アーチ橋です。橋長328mと、距離が短いため。

伯方島は、高速から降りずに通過したのみ。

 

さらに次の橋。伯方・大島大橋(*)。

伯方島と大島の間にある小島に橋脚を建てて、短い伯方橋と、吊り橋である大島大橋に分けられます。上を走っている分には一続きの道路。

 

で、大島にやってきました。大島ってあまりにも、どこにでもある名前でインパクトが弱いのですが。

 

ここでは、村上海賊ミュージアムを訪ねました。

ミュージアムからの眺望。今渡ってきた、伯方橋+大島大橋が向こうに見えます。

 

橋の手前にある、小さな島ふたつ。(↑の場所)

 

これが、村上水軍が拠点とした能島と、橋でつないだ鯛崎島。

 

鯛崎島の上には、何か小屋のようなものが建っています。ホントに小さい島です。

どうしてこのような小島に拠点を置いたかと言えば、島の周囲の潮流が複雑で激しく、天然の要塞となったからだそうです。

 

ミュージアムの前のこの店(料理屋・能島水軍)から、その激しい潮流を体験する船が出るので、乗りたかったのですが、もう夕方でやってません。

 

お店の横には、船が置いてありました。

あんな船で潮流体験に行くのかな?流されそうだけど…

 

潮流体験できなかったのは残念でしたが、ミュージアムへ。

入口では、村上武吉さんが出迎えてくれます。

 

「村上海賊の娘」の碑。今回の旅に持参しております。まだ読んでる途中。

 

小説に出てくる「小早」ってこれか~。公園のボートと変わらない。

さっき、潮流体験のお店の横にあったのも、この小早と思われます。

 

こちらは、「関船」のミニチュアかと。

 

ミュージアムの中には、村上家伝来の品々など。

この赤い陣羽織は、村上武吉・影親の親子が使っていたものだそうです。

 

あの小さな島で発掘された、生活用品とかも。

 

村上元吉他、十四人の連署書状(複製)。毛利家文書として重文になっています。

木津川の戦いの勝利を毛利輝元・吉川元春・小早川隆景に報告した文書。

まさに「村上海賊の娘」の舞台。

 

このような、能島水軍ゆかりの品々のほかに、廃校となった中学校の黒板も。

46年前の中学校の年間行事予定。

でも今の中学校でもあんまり、変わっていない気もする。

 

村上海賊ミュージアム、楽しかったです。
ミュージアムからすぐの港の風景。

昔ながらの道を通って。

今回走ったしまなみ海道の島々、高速道路以外の島の道は、こういった昔ながらの細い道もありましたが、幹線道路はしっかり整備されていました。

 

同じ大島の、南端にある亀老山へと急ぎました。

ここは、来島海峡大橋のビュースポット。暗くなる前に行きたかった。

 

なんとか間に合った。日は沈んじゃったけど。

 

素晴らしい眺めでした。

吊り橋を3つも連ねた、来島海峡大橋。

合わせて4㎞を渡っていきます。

 

北側、今走ってきた、島々の山。

 

今治の街の光が輝き始めています。

 

絶景を眺めてから、亀老山を降りて来島海峡大橋に出て、しまなみ海道を走り切ることができました。

 

対岸の今治に到着したころには、あたりは真っ暗。

今治から、松山まで進みます。

海沿いを走ろうと思ってナビを指定したつもりだったのに、山の中を抜ける道を案内されてしまいました。

カーブの多い山の道を夜走るって、超絶苦手なので、ほうほうの体で松山に到着…

 

道後温泉。ここで休んでいきます!

道後温泉本館は、大規模修理中。

特徴あるその屋根には、シートがかかっています。

一部営業はしていますが、本日分はすでに札止めでした。

一部のみの営業で収容人数が少ないし、コロナもあって、利用可能な人数が極端に少ないので、むべなるかな。

 

別館、飛鳥乃湯。屋根の飾りが、本館を思い起こさせます。

ところがこちらも、少々待ち時間がかかりました。

 

もう一つある、椿の湯。

こちらは、ほとんど待つことなく入れました。

地元の人もいて、本当に町の公衆浴場といったかんじです。

(↓道後温泉のサイトより)

この、湯船にデンと鎮座した「湯釜」が、本館と同じ感じなんだそうです。

「巡礼の 杓に汲みたる 椿かな」

という子規の句が、湯釜に刻まれていました。それで「椿の湯」なんでしょうかね。

 

お湯も本館同様、無加水、無加温のかけ流し。

本館には入れなかったけど、椿の湯も良かったです。

本館は、修理が終わったらまた。

 

椿の湯のそばには、椿も咲いていました。

 

さて、このまま道後温泉で、ご飯を食べていこう。

 

手軽に入れそうなお店を見つけた。鯛めしって、このあたりの名物らしい。

 

宇和島の鯛めしでした。

ウズラ卵の入ったタレに、鯛の刺身をつけて、ご飯にのっけて食べました。

松山の「鯛めし」は鯛を炊き込んだご飯。

宇和島の「鯛めし」は、鯛の刺身をのせて食べるご飯。

別物です。

 

で、この宇和島の鯛めし、タレが美味しかったけど、鯛が少し硬めだったかな。

あと、宇和島の「ジャコ天」も食べました。

 

食後は、すぐそばの道後温泉駅まで行ってみました。

ちょうど、電車も来ていました。

(ここにもスタバが…)

 

駅前の「坊ちゃんからくり時計」。

 

柳の下の子規。バットを持って。

 

道後温泉でお風呂もご飯も済ませて、再び車に乗って松山市街へ。

ふととなり見たら、「みかん電車」が走っていました。

吊り革にみかんが1個ずつ、ついてました。

松山の繁華街、大街道そばで泊。