黒部宇奈月温泉駅から糸魚川へは、新幹線で移動しました。
旧北陸本線であれば、新幹線に乗るような距離ではないのですが、今は県をまたぎ「あいの風とやま鉄道」と「えちごトキめき鉄道」とに分かれてしまいます。
残念なことに、ほとんど直通がないし、乗り継ぎも接続なし。
膨大な時間がかかってしまうので、たった13分ですが新幹線に乗ることに…。
黒部宇奈月温泉駅を出るとすぐ、海が見えます。
このあたりから糸魚川すぎの北陸新幹線の車窓、広々して大好きです。
(糸魚川から上越の山々に入ったところも素晴らしいです)
黒部川を渡ります。あの急流が、こんな大河になりました。
よく見ると、このあたりも、家の周囲にこんもりと木があって、散居村の風景。
今度は、安曇野から流れてくる姫川を渡りました。
黒部宇奈月温泉駅からわずか13分、糸魚川の町へ。
到着しました。
がんばろう糸魚川のパネル、まだかかってるな…。
糸魚川ではレンタカーを借りるのですが、ちょっと駅から離れた事業所だったため、町をブラブラしながら向かいます。
レトロな建物が残っています。
黒部でもよく見た、この棟飾り。
新潟で見た棟飾りと、よく似ています。
でも、新潟のは、棟木の両端が少しせり上がってたけれど、富山では平らです。
旧高野写真館。
見たところ、どうってことない建物ですけれど、登録文化財。
1928年築ですから、100年近く経っている建物です。
1954年の糸魚川の大火で損傷したのを復元したそうです。
糸魚川は度々、大火の被害にあっています。昭和の間に3回。
2016年の大火はまだ記憶に新しい。
以前に糸魚川の町を通りぬけた時に「古くからの街道風景が残ってるなあ」と思ったのですが、今回通ってみると、更地に真新しい建物が点在していて、大火の爪痕を感じます。
「がんばろう糸魚川」と駅にありましたが、まだまだ復興の途中なんだなぁと思います。
さて、車を借りて、海岸に沿って、国道8号線を西へ。
目指すは北陸道の難所「親不知・子不知」。
山が急斜面のまま、海に落ち込んでいる地形になってきました!あのあたりかな?
この交差点を抜けると、国道はず~っと、トンネルになりました。
トンネルと言っても海はよく見えます。
このあたりが「子不知」だったよう。
工事渋滞してたので、運転席から写真が撮れました。
子不知を過ぎると、トンネルから出ます。
道の駅・親不知ピアパークにいったん車を停めました。
親不知と子不知、二つの難所に挟まれた、貴重な砂浜。夏は海水浴場になるそうです。
道の駅からさらに先へ。また延々と、トンネル。こっちが「親不知」。
この先の「親不知レンガトンネル」を目的地にしていたのですが、うっかり行き過ぎてしまいました。
Uターンしたくても、延々とトンネルが続き、どんどん先へ行ってしまいます。困った。
……ずいぶん先まで行って、ようやく、分岐があったので曲がります。
そしたら、古くからの街道に沿って町並がありました。
なんか風情があったので、車を停めて一枚撮った。
どうやらこれ、市振の町並だったようです。(あとで調べて判明)
市振は、富山県との県境の町。
昔は関所があり、親不知子不知の難所を抜けてきた松尾芭蕉が滞在して、
一つ家に遊女もねたり萩と月
という句を読んでいます。
(遠回りになったけど、市振を通れてよかったです。)
市振でUターンをして、今度こそ、親不知子不知・レンガトンネルの駐車場に到着。
難所・親不知子不知の眺望。
上から見てるぶんには、絶景。
遊歩道があります。これは、ウオルター・ウェストン氏の像。
上高地のウェストン祭の、あのウェストン。
ここ親不知も訪れて、「日本アルプスの起点」と紹介したそうです。
下を見ると、絶壁がほとんど垂直のまま、海に入ってます。歩く所なんてないぞ??
写真の左下に、わずかに見える岩場。ここで波が引くのを待ったそうです…ひぇぇ…
今歩いているこの遊歩道こそが、明治になってはじめて、山を採掘してつけた旧国道。
岩には「矢如砥如」と刻まれています。
切り開いた道は「砥石のように平らで矢のように真っ直ぐだ」という意だそうです。
これで、危険な岩場を渡らなくていい。開通の喜びが誇らしげに刻まれています。
切り拓かれた貴重な道は、何度も改修され、今は親不知コミュニティロードという遊歩道。
左のガードレールが、今の道。その奥にあるのが、一つ古い道のガードレール。
さらに茂みの中に、最初の道のものと思われるコンクリ柱が見つかりました。
海が輝いています。
遊歩道の東端から歩き始め、西端にきました。
ここから、下へ降りてゆく階段がありました。降ります。
階段はどんどん続きます。登るのたいへんだなあ…と思いつつ降りてゆく。
かなり海岸が近づいてきました。
ここに、最初の北陸本線が通っていたトンネルが口を開けていました。
いや~、さっきの道を切り開くのも大変だっただろうけど、ここに鉄道のトンネルを造るのも、大変な作業だったことでしょう…
トンネルを歩いて抜けられます。中はかなり暗い。
この壁ですが、触ってしまうとススで真っ黒になります。
明治時代に走っていた汽車から、長い時を経て届けられた、貴重な?迷惑な?記念品。
イギリス積みのレンガ(上のほうは積み方が違うな)。
トンネルを抜けました。
絶壁の上に拓かれた旧国道を西へ歩き、階段を降り、その下にあるレンガトンネルで、東へ戻ってきたことになります。
先には、次のトンネルが口を開けていました。こちらは整備されてなくて入れませんが。
さてここから、上に登れば、出発地の駐車場に戻ります。
ですが、急な流れとともに、さらに下にも階段が…
降りてみたら、親不知の海岸に出ちゃったよ!
まさか降りれるなんて思ってなくてビックリした。
足元は、石がゴロゴロ。
切り立った崖に囲まれた、ほんの小さなスペースです。
沖は静かに見えるのに、岩場には波が激しく打ちつけています。
逃げる場所もなく、さらわれそうで、波打ち際には怖くて近づけない…。
親不知子不知を抜けるのは、まさに命がけ。
親も子も、お互い相手のことを構っていられないくらい危険な場所だから「親不知子不
知」。
それは海岸に降りてみて、すごく分かりました。
でも加賀藩は、参勤交代の時に、ここを通ったのですよね…お殿様が波にさらわれないよう、たいへん難儀だったでしょう。
車に戻って、いったん、糸魚川に帰ります。
こんどは少し山に入って、フォッサマグナパークへ行ってみました。
姫川ぞいに、大糸線&国道148号が通る谷を遡ります。
国道ぞいに車を停め、少し歩くと、大糸線の上を横切りました。
この先が小谷村、白馬村です。大糸線、また乗りたいなあ。
大糸線を越えると、フォッサマグナパークに到着。
フォッサマグナって、「風景を見ると分かる」ものではないので、ここではわざわざ崖を削って、東西の地層の境目を露出させています。
ここが東西の境目。
なるほど、土の色が違う!(ってことくらいしか、わからないが)
目の前に流れるのは、姫川に注ぐ小さな川です。
その向こうの集落に見える屋根が、ブラタモリで取り上げられていた、酒屋さん。
敷地の中に東西の境目があり、東の井戸と西の井戸とでは水質が違う…という話でした。
フォッサマグナの面白さもだけれど、姫川沿いの風景の美しさを改めて感じます。
お昼過ぎ、糸魚川の町に戻って車を返しました。
時間が押してしまい、海岸でヒスイ探しはできず。
海岸のそばを歩くだけにしました。
…ところが、すごい風。あまりの強風に、早々に海岸から離れて駅に向かいました。
糸魚川のこの風が、火災の被害を大きくするんだ…と実感しました。
糸魚川駅。新幹線ホームから見る、山側。
そして海側。
前に一度、白馬から大糸線で糸魚川に出た時も、この駅のこの風景が心に残り、同じ写真を撮った気がします。
フォッサマグナミュージアムとか、ヒスイ探しとか、まだまだ楽しめそうな糸魚川でした。
また大糸線に乗りたいなあ…