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ほっと笑顔の宅配便

みなえみみなです。

 



 

 

先日、ある出会いがありました。

 

 

友人とイベントをしたいな、と思う会場に

下見に行った時のことです。

 

 

たまたまその日は

「龍と天女」が題材の

個展が開かれていました。




 

 

とても素晴らしい作品を

見終え、さらにはオーナーさんにギャラリー内の

レンタルスペースまでご案内いただいた後、

何気なく個展をされた画家さんのプロフィールを見ると

 

 

 

「シベリア抑留を忘れない」ための活動をしている

 

 

 

と書かれていました。

その文字を見た瞬間、心がざわざわざわっと震え

思わず画家さんに声を掛けていました。

 

 

なんでも、

画家の大先輩である元抑留者の方からのお願いで

彼女はたった1人で活動をしている、

ということでした。

 

 

そのお話を伺った瞬間、

 

私にもお手伝いをさせてください!

 

と発していました。

 

 

30年前に亡くなった母方の祖父は

元抑留者でした。

晩年お酒が手放せず、肝硬変で亡くなりました。

 

 

今ならPTSDだったのではないかと想像ができますが、

当時母やその兄弟からは

 

 

お母ちゃんばっかり働かせて自分は飲んだくれて・・・

 

 

と嘆かれていました。

 

 

祖父の家に行くたびに抱き上げられ、

顔中舐められんばかりに可愛がってもらえた私は

(実際に舐められていました笑)

祖父が大好きでした。

 

 

勝手口でしゃがみながら

歌手の三波春夫さんの歌を口ずさんでいる姿を

よく覚えています。

 

 

死後に母から

三波春夫さんも抑留者だったと聞き、

祖父の中でいかに抑留経験が影を落としているのかと

胸がいっぱいになりました。

 

 

祖父は決して抑留経験を

話そうとしなかったので、私も知っていることは

残念ながらほぼありません。

 

 

ですが、抑留者の孫として

 

    

60万人と言われる捕虜の方々の想い、

帰りを待っていた家族の想い、

その後の生活のご苦労を

形に残したい。

 

 

そう考えていた

まさにそんなタイミングで

 

 

 

 

12月9日よりこちらの映画が封切られ、

あまりのタイミングの良さに

鳥肌が立ちました。

 

 

今日、友人のご主人に息子を預けて

友人と映画を観てきました。

 

 

映画の中で描かれていた人達が

祖父に、

家族の姿が祖母にと重なり

胸がいっぱいに。

 

 

幸いにも祖父は命からがら

骨と皮だけのガリガリ姿で生きて帰ることが

できましたが、

 

 

主人公の山本さんをはじめ

6万人と言われる多くの方々は日本に帰ることなく

シベリアの冷たい土に還りました。

 

 

まだまだたくさんの人の記憶が、想いが

残されたまま忘れ去られています。

 

 

戦争が人の心を命をいかに容易く

奪ったり壊したりしまうのか。

 

 

未来永劫忘れてはいけない記憶として

残しておかなくてはいけない。

 

 

そう思うのです。

 

 

もし、このブログを読まれた方で

抑留経験をお持ちの方やそのご家族が

お近くにいらっしゃいましたら

ご連絡をいただけないでしょうか。

 

 

どんなことが自分にできるのか

わかりませんが、

お会いしてお話を伺い形に残したいと

考えています。

 

 

どうぞご協力をよろしくお願いいたします。

 

 

 

 

 

最後までお読みいただきありがとうございました! 前回のブログより1名の方からフォロー申請をいただき心から感謝申し上げます。




横浜の展望。富士山がかすかに見えますがわかりますか?


 

どうぞ明日からの1週間を笑顔でお過ごしいただけますようにキラキラ