昨日の記事のお話は

自分の名前が一文字入ってる名前が

墓石に刻まれてたら

嫌な気分になるか?

っていう内容だったけど

 

 

今日は、墓石にお名前を掘る、掘らないというお話ね音譜

 

 

墓石に

名前を掘る自体も、自由なんだよね。

墓石の状態で掘れないという場合もあるみたい。

 

 

掘ってあげてほしい。

生きてた証として。

 

メッセージありがとう照れ

 

 

気持ちわかるよ。

結愛も掘ってほしいって思った。

 

けど

 

考えてみたら

 

大事なことは名前を掘ることではなかった。

 

もっと大切なことに気づいた。

 

 

 

住職さん「墓石に名前を掘ることは強制ではない」

 

この言葉って、どういう意味?ってね。

住職さんが言うんだよ?

住職さんらしくない言葉だと思わない?

 

住職さんなら「是非、掘ってあげてほしい」というと思ってたから。

 

そう言わないのは

お墓に名前を掘るのも、掘らないのも同じってことだと考えた。

 

掘る意味はわかるけど

掘らなくてもいいという意味がわからない。

 

なぜ?掘らなくてもいいのか。

 

 

まず、掘る意味として、生きてた証だったり

入ってる人がわかるようにとか

いろいろあるけど

でも、入ってる人は住職さんが知ってた。

結愛のお墓は、檀家に入ってるから?

 

生きてた証に注目してみた目

 

生きてた証って、墓石に名前掘ったら

証になるのだろうか。

 

まず、生きてた証を残すって?

 

この世に生を受けて、その生涯を閉じるまでのあいだに、人はいったい何を残すのか。自分が生きてきた証というものはどこにあるのか。誰もが何かを残したいという気持ちがあります。

 

それは、墓石じゃなく

誰かの心に刻むんだよね。

 

 

 

結愛、「曽祖父」までしか知らないもん。

しかも、あんまり覚えてない。

ただ、ママが「曽祖父は、優しい、とてもいい人だった。」

ということと

結愛にお小遣いあげて、曽祖父が喜んでたってお話しか知らない。

でも「曽祖父は優しいとてもいい人だった」

と結愛に刻まれた。

 

結愛の中では

曽祖父以前の人たち、生きてた証

心に残ってない。

「ご先祖様」枠にいる。

でも、ご先祖様のお名前ある。

 

墓石に生きてた証が残せるという矛盾。

 

そう考えると

生きた証は誰かの心に刻み

言葉で、伝えていくものかな?って。

 

そうじゃなきゃ無理だよね。

 

よく住職さんから聞くのは

「故人を思い出すだけで供養」

「生きてる人の心にしか故人を生き返らせることができない」

という言葉。

 

お祖父ちゃんやママの動いてるところ

笑顔、思いだすもんね

結愛の心の中で生きてる。

 

結愛は、子供を産むことは出来ないかもだけど

骨盤が狭いから、難産って言われるから。。。あせる

弟かお姉ちゃんの

子供たちに

ママの生きた証を伝えればいい。

 

ご先祖様、会ったこともないし

動いてるところ見たことないから

 

 

 

思いだそうと思っても無理、思いだせない

知ってる人の範囲でしか思い出せない。

 

曽祖父ぐらいまでじゃない?最大、思いだせるの。

 

結愛の中では

ご先祖様枠へ

 

 

先祖様とは?

先祖(せんぞ)または祖先(そせん)とは、現代人の、既に亡くなった数世代以前の血縁者全般のこと。

 

 

このように数世代って言うのは

結愛の知らない範囲で

人によって知らない範囲が違うから曖昧。

パパだったら、もっと先の人を知ってると思うしね。

 

お墓に名前を大きく掘っても

きれいに掘っても

立派なお墓でも

足を運んでくれる人がいなければ意味がないし

自分を思い出してくれなければ意味がない。

 

 

ご先祖様に対しては

今、結愛がいるのは

ご先祖様のおかげと

見守ってくれてるという感謝の気持ち。

自分が知ってる範囲の人は

心の中で生きてるから偲んだりね。

 

 

 

お墓参りに友人の方も来てくれる人もいる。

亡くなられた他人のお墓参り

なかなか、できるものではないって思う。

故人の方、本当に素敵な人だったんだ。

だから、お友達も素敵な方

亡くなった後も、会いに来てくれるんだね。

 

 

 

証は死んだ後のお墓参りに足を運んでくれる人を見たら

わかる自分の生きた証。

 

 

全く誰も来ないお墓もあるみたい

でも

お葬式と同じ

「来てください」

と言えないからこそ

生きてた証を刻めるのは。

生きてる人の心に刻むのかな。

 

 

 

世間の考え方に惑わされてしまった。

形じゃなく心なんだ。

 

もちろん、掘ってほしいって思う人もいる。

それはそれでいいと思うよニコニコ

本当の証は、心にしか刻めないのかもね。

 

お兄ちゃん、掘ってほしかったかもね。

「僕の名前ない!」って

確かに、自分で石屋さんに頼めないしねあせる

 

掘ることよりも

子供のうちに亡くなってるから

亡くなった子のきょうだいが

嫌な思いをすることを優先してしまうのかも。

 

 

 

家族に、自分が亡くなった時

名前掘る?掘らない?

伝えておくのもいいかも。

 

 

そう考えたら

結愛は、やっぱり石より

いつまでも、生きてたことを語り継がれるような

誰かの心に刻めるような人になりたいな。

 

 

自分の心に恥じない生き方をしたい。

 

 

相手にとっての1番を考えられて

たとえ、嫌われようとも、わかってもらえなくても

いつかわかってくれると願って信じる。

 

自分の心に正直でありたい。

悪しき行いや悪しき心はこれからも持たない。

 

そして、いろんな人と会話して考え

いい言葉を聞いて考えて

チョイスして

自分の言葉に置き換えて相手に伝えたい。

 

 

そうやって自分をもっともっと成長させる。

一生、お勉強だと思うあせる

 

 

 

でも、いろんなことを知れることが楽しい照れ

 

 

これからも精進していく。

 

 

 

長文、だったけど

ありがとう飛び出すハート