子供を育てること その13 | 自由に、自分らしく、幸せに生きよう 光花のブログ

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自分を取り戻すためにやっていることや、自分を使って実験した結果、日々の生活の記録など、思い付くままに書いています。

こんにちは。光花です。


先日、たまたま息子の肘が私のこめかみのあたりに直撃してしまうということがおこった。


思いがけないことだったし、久しぶりにすごく痛かったので、うっとうずくまり、


「痛い、痛い」とうなってしまった。


私は基本的にあまり痛がらないので、息子もびっくりして、あたふたしていた。


息子はすぐに保冷材とタオルを持ってきてくれて、何度も何度も「大丈夫?ごめんね」と謝っていた。


あまりにも痛かったので、私にしては珍しく「痛い、痛い」と言い続け、大丈夫とは言えなかった。


息子はすぐに出かけなければならず、「ごめんね。大丈夫?」と心配そうに言い、出かけて行った。


私は「うん」とできるだけ優しく返事をしたが、そのあと、涙があふれてきて困った。



痛くて泣いたのではない。


一言では言い表せない、なんとも複雑な気持ちがこみ上げてきたのだった。



過去の記憶なのだろうか。


具体的な出来事はついに思い出せないままなのだが、その時に感じたであろう気持ちは、ありありと思い出され、いつまでも泣き続けた。



気持ちが収まっては泣き、また思い出しては泣いた。


この感情を忘れてはいけないような気がして、忘れないように、思い出しては泣き続けた。


軽く2時間は泣いていただろうか。


心配している旦那さんにも、痛いのではない、なぜかわからないけど、昔の記憶を思い出して泣いている。具体的な出来事は思い出せないけど、気持ちを思い出して泣いているから心配いらないと伝え、泣きに泣いた。


そしてしばらくの間、これはいったいどういうことなのか、一人で考えてみた。




わざとじゃないけど、結果的に誰かを困らせてしてしまった。


悪いことをしたのは、自分でもよくわかっている。困っている人に本当に悪いことをしたと思っている。かわいそうなことをしてしまったと。


こういう表現は適切ではないかもしれないが、加害者の心の痛みとでも表現しよう。



悪いことをしたと心底思っている人に、さらに追い打ちをかけるように怒りをぶつける人がいる。


やったことは悪いこと。もう、してはいけない。と伝えればいいのだが、そこで、その人の人格まで否定するようなことを言う人がいる。


お前が悪い。悪いのはお前だ。お前のせいで、とんでもないことになった。なんていうような、「加害者の心の傷」に追い打ちをかけるようなことを。


それから、直接的に攻撃はしないけれど、被害を受けた人に、「大丈夫?痛そう。かわいそう。ほんとに大丈夫?」とおおげさに騒ぎ立てて、罪悪感をあおる人もいる。しかも、本人もそんなつもりはなく、無自覚にやっている。



被害を受けた人も、騒ぎ立ててなどほしくはないのに、おおごとになってしまう。


すると、その出来事を起こしてしまった張本人は、自分でも自分を責め、他人にも責められ、間接的にも責められることになる。


まさに身の置き場がなくなる。


私は、どちらかというと、そちらの「加害者の心の痛み」に反応して泣いた気がする。


息子のいたたまれない気持ちを思い、泣いたのだと。


私もおそらく、子供の時、同じようなことがあったのだと思う。


「加害者の心の痛み」を経験したのだと思う。


誰にも言えず、一人で抱えて、自分を責めて、悲しくてどうしようもなくて、苦しかったのだろう。


その一人で抑え込んだ感情が遠い記憶からよみがえり、私は、その感情をじっくり味わい、泣きに泣いて浄化させたのかもしれない。


そんなことを、一人考えていた。




すると、息子が帰ってきた。


泣いている私を見て、とても驚いていたので、旦那さんに言ったことと同じことを息子にも言った。



そーっと触るとタンコブができていたので、息子にも触らせると、笑った。


それから息子に話した。


わざとじゃなくても、誰かを困らせたら、謝るのは大切なこと。でも、必要以上に罪悪感を持ち続けなくてもいいからね。


この世では、必要なことしか起きないっていうし。


わざと、ママを叩いたりするわけないって、ちゃんとわかってるから、大丈夫だよ。もう心配しなくていいよ。


ママが小さかったときの記憶を思い出して、それを浄化させるために起きたことかもしれないし、とにかくもう大丈夫だから、と。



すると、息子は


「うん。俺は、だれに対してでも、わざと痛めつけるようなことは絶対にしないよ」


と言ったので、私は


「うん。知ってる」と答えた。



悪いことをしてしまったと、反省している人も、心が痛んでいる。自分を責めることによって、もしかしたら与えてしまった傷と同じか、それ以上に心に傷を負っているかもしれない。


悪いことをしたと責める役割の人も、もちろん必要だ。


それでも、やったことは悪かったけど、あなたはいい子だよと、抱えた心の痛みに気づき、寄り添う役割の人も同じくらい必要なのだと思う。


私が子供のころは、そういう人があまりいなかったのかもしれない。



大きな事件を起こしてしまう人は、そういうひっそり抱えた心の傷を癒してくれる人、何があっても信じてくれる味方が、極端に少ないのかもしれない。



そんなことを考えた日だった。



こんなふうに、私は子供とのやり取りを通して、様々なことを学ぶ。


ときに過去の傷を思い出し、癒し、浄化までする。


とても地味だけれど、受け止め方ひとつで、セラピーともいえるかもしれない。