幻想を見ていた? 続き | 自由に、自分らしく、幸せに生きよう 光花のブログ

自由に、自分らしく、幸せに生きよう 光花のブログ

自分を取り戻すためにやっていることや、自分を使って実験した結果、日々の生活の記録など、思い付くままに書いています。

こんにちは。光花です。


幻想を見ていた?の続きになります。


私が子供のころ、中学生くらいまでの間、母はものすごく厳しい人でした。


今の世の中で同じことをしたら、問題になるようなことを、しつけと言って平気で行っていました。


理不尽なこともたくさんありました。


本当にしつけのつもりでやっていたのか、もしそうならちょっとおかしいなと、大人になった今では思います。


中学生のころ、私は本当にイラついていて、それこそ毎日毎日イライラしまくっていました。


その当時は、何が原因でそんなにイライラするのかわかりませんでした。


今はしっかりわかっています。


それは、母の言うしつけや注意は、私のためではなく、母がよその誰かから立派なお母さんだと思われるために言っていることだったからです。


本人は無自覚かもしれませんが、私はそれをしっかり感じ取っていました。


母はそれを愛情として言っていたかもしれませんが、それは私が欲しいものではなかった。


私はその時点で、そういうことをちゃんと言葉で表現することができなかった。


だから、無性にイライラしていたのだと思います。


反抗期にちゃんと反抗していたつもりでいましたが、ぜんぜん足りていなかったのでしょうね。


ちゃんと言葉でぶつけられなかったから。たとえぶつけても、きっと母は受け入れられなかったでしょう。


お母さんの方がもっと大変だったという伝家の宝刀を振りかざして。


父に至っては、ほとんど話もしなかったのではないかと思います。仕事であまり顔を合わせることもなかったので。


反抗するほどのかかわりがなかったと言った方がいいかもしれません。




小学生のころ、この人、ほんとうに私たちの母親なんだろうかと、姉と話たことも何回もありました。


のび太のお母さんのほうがよっぽどましだよね、なんて言っていました(^^)


それが、私が高校生になったころ、母はまるで別人のようになりました。


本当に文字通り、別人です。


めったに怒らなくなり、物わかりのいい、話の分かる友達のような母親になったのです。


あまりの変り様に、驚き、


「なんで急に優しくなったの?あんなに怒ってばかりいたのに」


と直接聞いたことがあります。


すると母は、


「もう義務教育が終わったからだよ」


と言いました。


私も姉も、母の望み通りの高校に入学したからなのか、どうなのかわかりませんが、目を見張るばかりの変容でした。


それでも、こちらの母の方が居心地がいいので、良かった~くらいにしか思っていませんでした。


このあたりから、私の中ではうちの両親はいい親だと思うようになっていったのだと思います。


ある意味そうでしたが、私の中で未解決のままうやむやになってしまったのでした。