頭の中の戦闘態勢 | 自由に、自分らしく、幸せに生きよう 光花のブログ

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自分を取り戻すためにやっていることや、自分を使って実験した結果、日々の生活の記録など、思い付くままに書いています。

こんにちは。光花です。


私は以前から、いつも頭の中で繰り広げられる言い訳のようなものを不思議に思っていました。


何と言ったらいいのか、常に言い返せるように構えているというか、こう言われたらこう言いかえすといったように頭の中がつねに戦闘態勢になっているのです。


小学生のころから、最近このことに自分で気が付くまで、ずっとです。


その意味と、戦闘態勢になって立ち向かおうとしている相手が誰なのか、ようやく分かりました。


その相手は父でした。


いつも批判され、バカにされ、ヘンだと言われ、私の話をちゃんと聞きもしなかった。


常に相手を言い負かすことだけを考え、言い負かしては優越感に浸っている。


自分の考えや意見と違うことは、絶対に受け入れない。


自分が理解できないことも、絶対に受け入れず、バカにする。


そういうことをされていたから、私は頑張ってどうにかして話を聞かせたいと思い、常に簡単に言い負かされないように、必死になって言い分を考えていたのだと思います。


私は父に文句を言いたかったのでしょう。でもいつも理論武装で言い負かされてしまう。


そのうちこの人にわかってもらうのは無理だとあきらめてしまった。


父に対してはあきらめたけれど、その嫌なクセがずっと続いていたのではないかと思っています。




自分の意見が通らないことは負けであると、父が態度で私に教えた。


子どもだった私はそれが大人だと勘違いしてしまった。


家では父が一番偉く、一番何でも知っている人と教えられてきたから。


けれどそれは間違っているし、人としてとても恥ずかしいこと。とても大人とは言えない。


もしかしたら父が一番子供かもしれない。


私は「自分の意見をちゃんと伝えること」と、「我を通すこと」を同じものとして混同して考えていたのかもしれません。


自分の意見を伝えることは大事です。けれど、それと同じだけ人の意見を聞くことも大事。


そのうえで、一番いいと思えることを選んでいく。これが本来あるべき姿です。


父がやっていたのは我を通すこと。


私がやろうとしていたのも父と同じく我を通すこと。


けれど、これは間違っていると私は気づいたので、もうやめます。




謎が解けたので、もう治まるといいな。