その行動は、思いやり? それとも | 自由に、自分らしく、幸せに生きよう 光花のブログ

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自分を取り戻すためにやっていることや、自分を使って実験した結果、日々の生活の記録など、思い付くままに書いています。

こんにちは。光花です。


たとえば、バスや電車で座席に座っていると、お年寄りの人が乗ってきて、自分の近くに立ったという場面。


こんな時、どうしますか?


どうしようかな。席を譲ろうかな。誰か譲ってくれないかな。。。


そんなことが頭の中を駆け巡ります。


こういう時はお年寄りに席を譲るべきなんだよな。子どものころからそう言われていたもの。


思い切って立ち上がり、「どうぞ」とお年寄りに言う。


すると「ありがとう」と言ってすんなり座る人もいれば、「大丈夫です」と言って座らない人もいる。


そのときの私の気持ち。


すんなり座ってくれた時は、あぁ、思い切って譲ってよかった。と、ほっとする。

座ってくれなかったら、せっかく譲ってあげたのにぃ。座ればいいじゃん。とイラっとする。自分も疲れていて本当は座っていたかったときなんかは、なおさら。周りの人がどう思ったかも気になって、いたたまれなくなったりする。


私はどうして席を譲ったのか。純粋に思いやりの気持ちからだったのか。

それとも、お年寄りには席を譲るべきという義務感からだったのか。

はたまた、周りの人から「あの人は、席を譲らない冷たい人」と思われるのがいやでいい人を演じたのか。。。


私は、これまで、「本当は○○できるのにやらなかったという罪悪感」を感じないようにするためや、「○○するべきという義務感」から行動することが多かった気がします。

しかも行動する前に頭の中で考え過ぎて疲れるパターンです。


自分が本当にやりたいと思って取った行動ではないので、結局もやもやします。


私はこれをやめたい。


たとえどんな状況でも、絶対にこうしなければいけない、なんてことは、本当はあまりないはずです。


私は、こうしたいと思ったことをやるようにしようと思います。そして、ほかの人のやりたいことをやる姿勢を尊重しようと思います。


みんながみんなに優しい世の中になるといいな。