夜中何度も目が覚めてヒナピを確認した。

身体も手も暖かくて柔らかい。


(赤ちゃんは硬直しない事を後で葬儀屋さんに聞きました。


赤ちゃんは細胞が若いから硬直しないそうです。


ずっと柔らかかったんです。


皮膚の腐食全くなくてツルツルでした。)


手足の点滴穴からいっぱい出血していて

布団シーツまだ漏れていた。


朝起きてまず着替えさせた。

退院したらずっと着せようと思っていた服。

サイズアウトしてなくて良かった。

でも着せるのがこんな時だなんて。



息子達が寄ってきて、

今までしたくても出来なかったとヒナピにキスをいっぱいしていた。


病院はマスクだったしねニコニコ


私はこのままがずっと続けば良いと思っていた。


このままヒナピをずっと置いておいてもいいんじゃ無い?

本気でそう思っていた。


Mr.(書き方コロコロ変わるけど悪しからず。主人の事です。)


Mr.が家の目の前の葬儀屋に電話をかけた。


すぐにドライアイスを持ってきた。


お焼香セットの組み立てを拒否したら

ちょっと怪訝な顔されて気分悪かった。

そして「顔の水分が蒸発するから顔に布をかかて下さい」と言われた。

何も言わなかったけど唖然とした。

そんな事よく言えたなと。

いくら死んだと言える子供の顔に布掛けるなんてあり得ない。


一度も布はかけなかったけれど最後までツルツルだったし、

そんなこと言ったのはその人ただ1人だった。

葬儀でも一度も布を掛けるとか言われなかった。


何が無いマニュアルの言葉だったかもしれないが

深く傷ついたので私はその言葉は一生忘れないと思う。


お焼香の事も

私は弔う気持ちが無かったとかそう言うことじゃ無い。

確かに死んだ事を認めたく無かったけど。

少しでも家族の時間が欲しかった。


その後、別の人が葬儀の見積もりやサインに来た。



こんなに急に直ぐにどんどん決まるものなんだな。

望まないのにあれよあれよと話は進んでいく。


「死亡届提出を代行します」

そんなことまでしてくれるのか。


てか、死亡届って。。。。。夢かな。



珍しくってゆーかしょうがなく?Mr.が全部やっている。

それを見て助かるなと思った。



志保の時もそうだった。

37歳で死んだ親友。

あれよあれよと葬儀の話。

今死んだばかりなのに。

病院には置いておかないからね。

霊柩車呼ばないとあかんのはわかるけどさ。

こんなの日本だけじなゃないの??

どこの国もこんなにドライ??


今死んだ病室の志保のベッドの横で葬儀屋と電話。。。


昨日、死んだばかりのヒナピがそこに寝てるのに

葬儀屋と話。


志保の時も私は自分で自分が子供みたいだとわかっていながら、その状況にふてくされていた。

志保の息子達以上に聞き分けなく

諦めきれず、しほに怒ってずっとクヨクヨ泣いていた。


今回はふてくされる態度などないけれど、

ずっとトンネルの中にいるみたいな感じで。

今も(投稿中今、11月30日)耳がわーんってトンネルみたいな。

みんなの声が遠いみたいな。

ずっと寝ぼけているような感覚。


この耳がトンネルの中みたいなのは

志保が死んだ時もヒナピが病気と言われた時も

生まれた時も、救急車で運ばれた時もそうだったな。


体の現実受け入れ拒否反応?

現実逃避症候群?てきなものかもしれないな。



どんどん決まる葬儀の話は他人事のようで

今の葬儀事情などに少し興味すら持った。


そんな事より家族団欒のようで私は笑顔だった。



死人用の白い布団が死人用などと思えず

白くて花柄で綺麗だなとか思った。


ヒナピが死んでいる現実もふんわりで

やっと家族写真が撮れて嬉しささえあった。



お線香もお焼香もせず、ずっと家にいてただヒナピに寄り添って1日が過ぎた。


ドライアイスに囲まれたヒナピを

あの腹の立つおじさんに動かすなとあまり言われたので

みんなでヒナピのそばの居間のこたつで寝た。


もっと抱っこ出来たのにおじさんの言葉を鵜呑みにしてちょっと後悔だった。

硬直してないしいくらでも抱っこ出来たんだって。


色んな人が出入りして長いような短いような一日が終わった。






私は死に顔とは思えないけれど、

死に顔いっぱい載せてるので気分が悪い方はごめんなさい。


私はただ可愛い娘の写真を日記と共に記録したかっただけなのです。