☆入院は3回目、、の2回目編 その1️⃣☆ | 生きてます

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たった一度の人生。。。楽しく可笑しく過ごしたいものです。

時には泣き。。時には笑い。。時には愚痴り。。

だけど、生きてるって感じたい。。。



そう言えば


こんなblog書いてたなぁ😂


って思い出しながら


1回目の入院は

2007年

これは

事前に計画と言うか

【◯◯から入院して◯◯日間の予定です】

だったんですけど


2回目の入院は


ある日突然にやってきました


2008年

7月23日水曜日でした


その日も通常通り

レギュラーレッスンをしてる施設に行き

レッスンしようとしたら

腹痛が、しかもかなりの激痛!


ここまで来てレッスンできないなんて言えないし

なんとか

レッスンを終えたけど


あまりの激痛と

嘔吐でスタッフルームで

しばらく横になってましたけど

そこの施設

見て見ぬふり😱するスタッフばかりで

誰も気にも留めない😅

なんとか落ち着いたので

自分で車の運転を必死でやって帰宅。


途中で

夜のレッスンの施設に連絡をして

代行を探してもらう。


必死で帰宅して

旦那様も帰って来たけど

食事なんてできる状態でもなく

痛み止め飲んでも吐くだけ


それこそ

水を一口だけ飲んでも何倍にもなって嘔吐する

痛みに耐えた夜が明けて

翌日はオフやったので


なんとか自力で

病院へ💨💨💨


内科から消化器内科へ

今でも忘れない、若い医師で

👨‍⚕️『お腹もグルグル鳴ってて動いてるし

整腸剤出しときますね』

👩‍🦳『えっ、でも水飲んでも吐くんですけど』

👨‍⚕️『じゃあ点滴しときましょう』


って事で

処置室で点滴中に

いきなり嘔吐!しかも血が混ざってる

って事で看護婦さん、慌てて

救急の方に私をストレッチャーで運ぶ!


そこで

消化器外科の医師👨‍⚕️を呼んだらしく

待ってはったら

先程の消化器内科の医師が来たけど

看護婦さん

👩‍⚕️『あっ、もう◯◯先生を呼びましたので

先生は来なくていいです!!』

と言う話だけは聞こえてて覚えてた

そこへ

心配した旦那様から電話があって

看護婦さんが電話受けてくれて

『ご主人さんですか?奥様が大変なので

すぐに病院へ来てください!』

と言う言葉だけ聞き取れて

あとは意識が遠のいて


次に気付いたのは

なんか暗い処置室みたいで

消化器外科の医師👨‍⚕️らしき人が

何やら管を持ってて


私の口から入れようとしてた

私が

【無理ー!痛いー!】

って言ったら


👨‍⚕️これ!入れないと死ぬよ!

それで力抜けて、、

あっ、死ぬってこういう事なんだ、、

医者が軽々しく【死ぬ】なんて言わないから

よっぽどなんだなぁ、、って


結局、そこから先はほとんど意識無く

その管は胃カメラで

次に気付いたのは3日後で

確か

7月26日土曜日やったみたい

その時には

イレウスって言って鼻から管から入ってて


私には

絶飲食!


何も食べられない飲む事もダメ!

と言う

水一滴飲んでも死ぬよ!

っていう事らしい


旦那様に聞いたら

旦那様が病院に着いてから

救急室の前で2時間ぐらい待たされて

出てきた時には

鼻から管入ってた

医師の説明では

後2、3時間遅かったら

亡くなってたって、、

病名は

腸閉塞

原因は分からずで


そこから私にとっては壮絶な

1ヶ月半の入院生活が始まりました


To be continued