愛されたかった私


愛されなかったルーツを


消してしまいたくなる。




私の家族は


私が今苦しんでいる事を


知らない。


私の家族は


私が今苦しんでいることを知れば


助けるふりをして


実家に呼び戻し


また奴隷のように


こき使うだろう。


彼らは私が奴隷でいる事を望む


優しい人間なのだと思い込んでいる。



私は死にかけた時


死ぬ時まで


家族に


まだ家族のために動けるでしょと


懇願されたくないと思った。


素の自分になれる場所で


安らかに死にたいと


心底思った。



だから、縁を切る事を選んだ。


後悔はしていない。



だけど、新しい縁をなかなか結べなくて、


寂しくて歯がゆい思いもしている。



進まない現実に


過去の傷が


何度もフラッシュバックする。



私は愛されない。


父の好みの


小動物系の可愛い女の子じゃなかったから。


森高千里みたいに


足の綺麗な女の子じゃなかったから。


小学校低学年の頃に


昭和体型だとも言われた。


父に似て、


毛深くて、醜かった。


母がムダ毛処理を禁じるから、


学校でもいじめられて、


ルックスが底辺だった学生時代。


メガネもレンズが大きい方が見やすいということで、


顔のサイズに合っていない


大きな丸いメガネを買い与えられた。


それが元でブスだといじめられても、


いじめる方が悪い


と、買い替えてくれることもなく。


受験期は


頑張って勉強していたら


ブクブク太ってしまって、


それをまた父に、


「あんたは

体型のわからないダボっとした服の方がいいよ」


と言われた。


あの頃に、


女性としての自信を


全て失ってしまったんだな。


父親との関係は


娘にとって、


パートナーシップに大きく影響するから、


いまだに、


男性は私を邪険にするか、


壊れるまでこき使うイメージが残っている。


ガタイのいい、強そうな男性は、


守ってくれそうなんて思った事がない。


支配してくる、怖い、


そんな風にしか思えた事がなかった。



私は男性性の強い女性だ。


恋愛より仕事が大事で、


仕事でつまずくと、


人生そのものの土台が


崩れてしまう。


学生の頃は学業で結果を出す事で


自分を保てた。


生まれてこの方ずっと、


何かを成し遂げたい女性だった。


だけど、


仕事は本当にどうにもならなかった。


やれる事全部試したけど、


どうしても病気になって、


続けられない。


人一倍努力しているのに。


一生懸命、普通に出来るようになろうと


しているのに。


そもそも、


社会人になる時に、


学生の頃まではあった


「大変でもこれを成し遂げたい」

「やれば出来るだろう」


がなくなっていた。


仕事でやりたいことも、


出来そうに思えたことも、


何もなかった。


ないだけなら


適当に選んで適当にこなせたかもしれない。


ないだけじゃなくて、


社会人に、会社員になることが、


最初から尋常じゃなく


怖かった。


自分に全くない要素を


求められている感覚だった。


みんなが憧れる都会のオフィスなんてものは、


PCのキーボードを叩く音が鳴り響いて、


眉間に皺を寄せた大人たちが、


無愛想に言葉を交わす、


時に怒鳴り合う、


恐怖の館でしかなかった。


友達付き合いと違って、


相手の意図することが


全くわからなくなった。


指示も意味がわからなければ、


意味のわからない会議で、


どうしてみんな


自分のすべき事がわかるのか、


本当に謎だった。


建前が必要なのは理解しても、


必要以上に建前で話す人達の、


求めるものがわからず、


いつも怒られた。


みんながどうしてこんな世界で


普通に生きていけるのかわからなかった。



私は勝手にこう思われた。


恵まれた環境で育って、


愛に包まれていたから、


なんでも人がやってくれたから、


世間の厳しさに適応できなかった、


無能な優等生。



全然、違うのにね。


私には、


みんなが持ってみる普通に生きていくための


「何か」が、


欠落しているのか。


はたまた、


私の価値を否定されるうちに、


自分には何もない、と


自分に欠落したものを埋めるだけの

人生を歩んで、


そもそも自分に向いていない世界しか


この世に存在しないと


勘違いしてしまったのか。



勉強が親よりできた事で、


親の劣等感を刺激してしまった事で、


「勉強出来るんだからなんでも出来るでしょ。」


「あなたが出来ないというのは、


やろうとしないだけ、甘えよ。


賢いのに。」


まとめると、いつもこんな感じ。


世の中の全てが、


通知表で5を取れれば解決するわけじゃないのに。


それに私、オール5でもないしね。


頭の良さも、まぁそこそこ。


しかも地頭は良くない。


強迫観念から努力家になっただけ。



親より勉強が出来て、


言葉を覚えて、


辛い現実を書き綴る習慣から、


言語能力が伸びた。


それは更に、


親の劣等感を掻き立てた。



母の


「頭のいい女は男から好かれない」


という発言が


私の結婚適齢期に頻発する。



私が男性を馬鹿にしたような発言をしている


と勝手に思い込む母親。


能ある鷹は爪を隠すものなのに、


といつも言われる。



適齢期の私は


生きていくのに頼りない部分があると思うから、


自分より賢い人が良い、


親と話が合わないから、


会話が成り立つ人が良い、


と思うようになった。


全部贅沢だと言われた。


母からしたら頭のいい私は、


頭の悪い相手に合わせて話をする優しさを持たなければならない、


あなたみたいな人には、優しくて頼りない男性しか合わない、と。


耳で聞いて覚えるのが苦手で、

本で言葉を覚えたから、


本嫌いの母には、

私の言葉はいつも難しかったらしい。


簡単な言葉で話せと言われても、

簡単な言葉を知らないものだから、

うまく言えないと、


「簡単な言葉に出来ないのは本当は賢くないってことなのよ。」

とけなされた。


知的コンプレックスを刺激され

私を小賢しく感じた母の当てつけだった。



いつしか刷り込みになって、


私が望むものは全て高望みで、


私は思いやりもない話も合わない相手のレベルに


ただ合わせてあげる人生を送らないと、


私自身がダメな人間なのだ、


と思うようになった。


さらには婚活と美容の専門家の妹から


「女で知的とかウザい」


「恋愛専門家の○○さんも、


モテるのはおバカなお色気姉ちゃんだと言っていた」


「そんな見た目(トレンド感がなくダサい)しているから

ろくな男に出会えない」


と、散々ありのままの私を


否定された。


あの頃は、


その刷り込みに影響されて、


不誠実な男性達に、


随分いいように扱われた。


どんな男性に出会っても、


好きになれない私が悪い、


うまくやれない私が悪い、


と自分を責めて、


相手に都合のいいように動いた。


私も心のどこかで、


不誠実な男性を


バカにしていたかもしれないけれど。



あの時の私に、


もう少し


他人の刷り込みに影響されない、


自尊心と自己肯定感が残っていたならば…


と今でも思う。


好きになれないにはちゃんと理由がある。


尊敬できないのにもちゃんと理由がある。


自分が独り身であることも


ダメだと思わずに、


自分には自分の生き方も価値もあると、


思えていて欲しかった。


結婚適齢期の若い女性が、


本来の魅力を否定して、


ただ媚びへつらって、


不誠実で未熟な男性に


邪険にされるなんて、


客観的に見て可哀想だから。



今見たら、


私は確かに、


雑誌に載っているような


オシャレなゆるふわな可愛い女性


ではなかった。


小動物系じゃなくて、

シュッとしてクールに見える。


服装のセンスはないし、

トレンド関係なく

自分の好きな可愛いものを選んだ。


男性の話を聞いて笑うことで、

男性の自己顕示欲を満たせるタイプじゃなかった。


だけど、

話すのが苦手な男性でも会話のキャッチボール

ができるように

自分から能動的に話す力と、

話の引き出しはあった。

男性を笑わせるのも好きだ。


これら全部、


母や妹からしたら、


「そんなんだからモテないんだよ」

「男性を立てられないから」


な女性だったのかなぁ。


親に賢くあれと望まれて


色々身につけたのに、


パートナーを求めた瞬間から


「そんなんだからモテないんだよ」

要素にされるのは辛い。



肝心な父は、


私みたいな女性は


敵だと思っていたのか…。



プライドもあってか、


「お前みたいに賢い女は


男からはモテないぞ」


と言われたことはなかった。


私が

「話が合う人が良い」と言うことに


母が反発しても、


父は肯定的だった。


今思えば、


父は私によく話しかけた。


母と妹に


自分の考えや興味のあるものの話を


することはほとんどなかった。


だけど私にはよく話した。


私が自分の意見を返すことに


「女のくせに」とは言わなかった。


私が朝忙しくしていても

話しかけてくるくらいだったので、


どちらかというと、楽しそうだった。


父は、


対等に話せる女性が、


本当は好きだったんじゃないだろうか。


だけど、コンプレックスが強いから、


母のように、


顔の可愛さだけが武器で、


だけど家事だけはちゃんとやってくれる、


頭は自分よりすごく悪い、


そんな人といる方が


安心するから選んだんじゃないだろうか。



母の言うように


「(娘の私みたいに)はっきり意見言えるような賢い女は


お父さんは本当は好きじゃないのよ」


は、


ただの母の


私に対する妬みだったんじゃないだろうか。


それが、父親→男性とのパートナーシップ

に派生して、影を落としていたんじゃないだろうか。


闇が深いが、母は奥底で、

娘を女として敵対して見ているので。

この話は複雑なので、いつかの機会に。



私は、そろそろ


愛に関する記憶を癒されたい、


新しいパートナーシップ、


新しい家族を築くことに、


歩みを進めたい、と思っている。



私のような女は、


男性から好かれない、


あるいは、


未熟な男性からこき使われるパートナーシップしか築けない、


という思い込みを捨てて、


私が愛される世界もある、


と安心して良いんじゃないかと思っている。




自分が結婚したことに納得している既婚者の方は、


「そんなに自分を偽って、続くと思いますか?」


「人前で相手を立てることは必要だけど、

普段からそんなに無理できるわけないでしょ。

素のあなたを愛してくれる人はいるから。」


とアドバイスをくれたりする。




そして、男性性が強いと自分のことを思ってきたことについて。


それも、もしかしたら、


自分は女性として愛されないから、


だから自立して仕事に生きて…と


自分を奮い立たせていたのかもしれない。


仕事で自分の存在価値を感じて見たい気持ちは


今でもある。


でもそんな自分が、


誰かに愛されることも、さ


可能なんじゃないか、


と今は思う。


自分の可能性と人生、


経験と学び、


幸せになる資質を


信じてみようじゃないか。