「右脳の才能がない。」
両親は私をそう定義した。
幼少期に。
3つ下の妹が描いたワニの絵はめちゃくちゃ褒められた。
私は自分が何を描いたのかもほとんど覚えていない。
ディズニーのアニメーション映画でタイトルを忘れたが、
ストーリー性もセリフもないような映画があった。
ひたすらミッキーが魔法を使っているような幻想的な映画だ。
それを見て私は何が楽しいのかわからなかった、
妹は食い入るように画面を見つめていた。
そこで私は
「妹は右脳タイプ。姉には右脳の才能がない。」
というレッテルが貼られてしまったのである。
だけど本当はお絵描きがめちゃくちゃ好きだった。
お絵描きというより、
自分で感じたものを何かしら表現すること全般が昔から好きだった。
しかし、
小学校低学年の写生大会、
牛の絵が猫の絵になってしまった。
授業参観で両親が見に来て、
家に帰って相当しつこく馬鹿にされた。
何年、何十年経っても。
朝顔の観察日記は、
上手く描けないからつぼみの絵になった。
「あんたらしいわね」
と母親に鼻で笑われた。
図工の版画が授業参観で飾られた。
「クラスで1番下手ね。」
母親に言われた。
家で音楽の授業の歌のテストの練習をすれば「音痴」。
部活の演劇の大会を観にくれば
「あんたが1番下手だった。」
私は本当に表現が下手かもしれない。
だけど、必要以上に否定され続けると、
知らないうちに、
右脳が縮こまるのだ。
どういうわけか、
左脳的な活動は訓練すればなんとか人並みにできた。
言語、計算、論理的思考、etc…
「やらないと大変なことになる」と、
漠然とした強迫観念からやっていた。
お絵描きより、好きではなかった。
誉められたら嬉しい、
という、副産物が努力を支えていた。
逆に両親がこちらの分野にコンプレックスがある人達だから、
私がやったら出来たことで、こちらの分野は馬鹿にされることは無かった。
しかしそれも、
やったら出来る=好き
と思われ、
妹がクリスマスに
スーパーファミコンをプレゼントされている一方、
私は国語辞典を渡されるなど、
全く嬉しくない子供時代を送ることになるのだが。
「勉強が好きではない。」
と何度伝えても、
「出来るってことは好きなのよ。」
の一点張りで、全く信じてもらえなかった。
そのうち、
好き嫌いに限らず、
自分の感じることは、全て間違っていて、
自分の外に大きな正解があるのだと思うようになった。
「そう感じるのはおかしい」
という、母親のフィルターにかけられ、
母親が許可した感覚だけ、存在を許される。
大人になるにつれてどんどん、
感覚の正解不正解を他人に委ねるようになった。
ここまで感覚が歪んだことに、
やはり幼少期の右脳の縮こまりは影響しているんじゃないかと思う。
「右脳の才能がない。」
私の感受性、創造性に、まるで封印のお札が貼られたような感覚。
自分の右脳で捉えたものをなかったことにしていると、生き方に歪みが起きる。
主観性がなくなる。
自分で決めたことのようでも、
実際は、
誰かの意見を採用したり、
一般論だったり、
データだったり、
そこに「自分」はない。
どれだけ他人に下手だと言われても、
幼少期にお絵描きが好きだったし、
学校の図工も音楽も好きだった。
それはそれで存在して良かったんだ。
私の右脳はずっと好きだったんだ。
私の「好き」は他人が決めるのではなく、
私が決めることだと、
右脳の持つ主観性とは、
そんな単純なシステムだったんだ。
他人の評価は変えられなくても、
好きな感覚までないものにしなくてもいいわけで。
出来ることが好き、で、出来ないことが嫌い。
それはあくまで両親が私に貼ったレッテルだったわけで。
左脳分野の才能の方が人から評価されても、
右脳でちゃんと感じて人生を作り出してあげなきゃ、
幸せになれない。
幸せを感じる力も右脳にありそうだ。
最近、感受性は取り戻してきたが、
特に難しいのが創造性。
否定されるのが嫌で、
人目につかないインプットばっかりして、
人目につくアウトプットはしてこなかったから、
ちょっと時間がかかるのかな。
取り戻したい、右脳の創造性。
取り戻せたら、
自分の人生を
現実的に前より豊かに
創造できる気がする。