子供の頃、謎な性教育を受けた。



母親自身が性に対して複雑な感覚を持っていて、


厳しく取り締まりたい気持ちと

寛容になりたい気持ちが

葛藤していたんだと思う。


母親本人に大人としての当たり前の知識もなければ、

教育にも一貫性がなかった。



寛容になりたい気持ちから出たであろう教育が


「下ネタは誰も傷つかないから話すべきだ。


下ネタで笑わない人に限ってやることが早い。


笑わないのはムッツリだ。」


というものだった。



今から考えるとわけのわからない教育である。



下ネタを話すTPOと相手をわきまえるべきだし、


下ネタで笑わない人がむっつりスケベであるというのもとんでもない偏見だ。



とにかく母親に見捨てられたくなかった私は、


母親の教えは絶対で、疑う事もなく信じた。


教えに従っているという感覚すら持たなかった。


小中高くらいまではそれでも良かった。



何を知っているわけでもなかったし、

周りも子供が多いし、


他人から見て、変な子だな、面白い子だな、

くらいで済んでいただろう。



問題は大学以降だ。


まともな恋愛経験もないのに、


貞操観念の低い女性だと勘違いされる。


恥じらいのない下品な女性だと思われる。


そうするとまともな恋愛はさらに遠のくのだ。




母親の影響で、男性に媚びへつらうら女性は一番嫌われると信じ込んでいたので、


男性から女性扱いされないタイプになったことは気が楽だった。


自分がモテない人間だと思い込んでいたので、

モテないことに違和感はなかった。


大学で、男性目線による女子の順位や、

女性同士のマウンティングからも離脱できたことは

ある意味安全圏内の生活だった。



しかし、本当に辛いのは25歳を過ぎてからである。






結婚を考え始めた時、


いくら友達として面白くても、


話が下品な女性を男性は選ばない。


行動が下品なわけでなくても、


中身を知ってもらう機会がない。


私を貞操観念の低い女性だと勘違いした男性からは、


その場限りや都合の良い関係を迫られるか、


真面目な男性からはそういう人だとレッテルを貼られて


敬遠されるかである。




私の好みの服装はコンサバだったり、清楚なものであった。


外見と中身が違うと言われた事もある。


つまり、今思えば、


私はさほど下ネタが好きなわけではないし、


あけすけな人間でもなかったのだ。


嫌いでもないけど、わざわざしゃしゃり出て話すことでもない。


ただ、母親から見捨てられたくない感覚のまま、

大人になっても生きてきてしまったのだ。


母親から離れて一年くらいたった頃から、

自分の言葉が世間の人たちにどんな印象を与えていたか、俯瞰で見ることができるようになった。


心底恥ずかしかった。


消えてしまいたいほどに。


おおっぴらに言うか言わないかの違いで、

人格の見られ方は違ったのだ。


母親の呪縛からの解放だった。




母親自身が人前で下ネタを言う人だったかと言うと、


言わない人であった。


「下ネタがわからない、わからない方が女は可愛い」と言っていた。


私への教育と矛盾している。


男性に媚びへつらう女性が嫌いだと言う母親だったが、


母親自身が大人の女性としての自信がなく、


いくつになっても純粋、ウブを売りにするしかなかった、


本当は一番男性目線を意識している人だったのだ。


娘には自分みたいに窮屈な思いをさせたくないと言っていたが、


結果的に、下ネタを言わなければならないと言う


真逆の窮屈さを強いてしまったわけである。


私が母親より大人の女性に見える要素を増やしていくと、


母親にとっては、それはそれで不満なようで、


「自分の方が純粋で可愛いのだ」というような発言も多かった。


今になって思うのは、


私が母親に見捨てられないためには、


節度のある魅力的な大人の女性になってはいけなかったのだ。


母親には娘でさえも、敵だったのだ。


それがわかった今、


私はだいぶ遅咲きながら、


自分が魅力的だと思う女性の在り方に近づこうとしている。


そして、性別問わず、自分を偽らずに、

関わっていきたいと思うのである。