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花火大会 

結局 家でピザ出前とって見ることにしました

電線やら手前のビルで若干かぶってしまうが見れたことは見れた




今日の過去の出来事

今日は8/1は、「花火の日」1967年制定。
第二次世界大戦後、花火が解禁された1948年8月1日と、東京の花火問屋で大規模な爆発事故があった1955年8月1日と、世界一とも言われる花火大会、教祖祭PL花火芸術の開催日(毎年8月1日)を記念して制定されたとのこと(ウィキペディアより)

案の定花火の日だったんですね今日は。

確かに横浜以外でもでも、神奈川だけで結構至る所でで花火大会開催してるみたいですし。

上にもあるとおり世界一と言われる「教祖祭PL花火芸術」。規模が今日見た花火大会より全然すごいみたいですね。この花火大会のタイトルもすごいけどw
一度は行ってみたいものです。秋田でも名前忘れたけど凄い花火大会ありますし、死ぬ前にどちらか一度はみてみたいな

第24回神奈川新聞花火大会

こんにちは

昨日実家に帰ってた妻がついに帰宅。なんとか戻ってくる前に散らかった部屋を元通りにしなければと、
掃除に明け暮れてましたw

そして今日は花火大会。ビックリマーク

しかも映画の日だから映画1000円。

というわけで、花火会場近くの映画館隣接のショッピングモールで、

「屋上の駐車場に車を止めて、花火が始まるまで映画を楽しみ、花火は車の中からのんびり鑑賞計画」

という、壮大な計画を実行に移すことに決めました。

結果は7時半開催で昼過ぎに行ったにもかかわらず、すでに満車ってゆうかそもそも本日は屋上で花火鑑賞は出来ませんの張り紙あるし。

仕方ないからとりあえず映画見て帰ろうと入ったら、鑑賞予定だった「サマーウォーズ」が本日分全て完売。

尋常じゃない人混みに絶えきれず帰ってきました。考えが甘すぎた!w

例年どおり「自宅の窓からビルの隙間に見える花火をしっとり鑑賞計画」に移行することになりましたw

追記訂正8月25日の誤りでしたすいません→ 7月30日今日の過去の出来事 「北里柴三郎、ペスト菌

今日はブログ初登場ビックリマーク
の我が家のもう一匹!の登場です。

一昔前なら見たら不吉とされてしまってた可愛いヤツですw

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7月30日にあった出来事
1894年8月25日北里柴三郎、ペスト菌発見

北里柴三郎さん。「日本の細菌学の父」と呼ばれる人です。

ちょっと「惜しい」功績を持ってる方なんですがw

ペスト菌発見と出ておりますが、あの悪名高い「ペスト」です。

1348年にヨーロッパで大流行した際には、ヨーロッパの全人口の3/1以上が亡くなったとされる感染病です。

以前「世界人口デー」の日に人口のこと書いたことがあったんですが、

そん時の貼り付けたグラフがこちら↓
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右下の当たりに注目、
みごとにこの時期のとこだけポコンって凹んじゃってますね

まさかこの目盛りの単位が「億人」となってるグラフに、見た目で影響が確認できる出来事があったというのが驚きです。

そんな悪名高い「ペスト」の病原菌を発見した割には妙に海外ではそれに対する知名度が低い北里さん。

なぜかというとペスト菌の発見者とされる方が実は同時期にもう一人いまして、世界的にはそちらの方が有名だからなんです。アレクサンダー・イェルサンと言う人で、はじめてペスト菌をペストとを関連づけて発表したのは彼の方だったとされています。もちろんどちらがパクッたとかではなく北里柴三郎とはまったく別の経緯で独立して発見したものです。

でも北里さんの功績は実はそっちよりももっとすごいものがあって「血清療法」という画期的な感染症の治療法を編み出したことが大きいんではないでしょうか。

菌体を少量ずつ動物に注射しながら血清中に抗体を生み出す療法で。これを元に現在の医学でも様々な細菌に対する抗体を作り出す医術が発展してきました。

これを応用して「ジフテリアの血清療法と破傷風菌の純粋培養」(ジフテリアっていうのは感染症の名前です当時流行ってた)に関する論文で「血清療法」を大々的に発表。

医学界もこいつはすごい!となり。当時「第1回ノーベル生理学・医学賞」は北里さんに上げちゃおっかな?という雰囲気になります。

ですが、受賞したのは北里さんと一緒に連名で研究発表したエミール・ベーリングという人のみ。

ベーリングはジフテリアの研究を主に論文として書いてたので、そっちが評価されたらしいのですが、その研究は北里さんの発明した血清療法を基にしたものでした。

またまたなぜか惜しい。

ノーベル賞って50年くらい経つとの当時の受賞候補者のリストが公開されるらしいんですが、そこにもやっぱり北里さん名前は載ってました、逆になぜかベーリングの名前がなかったらしいです。

東洋人や黄色人種への差別だったとか言う人もいますが、どうなんでしょうね。当時この賞は第1回っていうのもあり、判断基準も曖昧だったのは確かだったみたいですね。(今もかなり曖昧に見えるけど)
ベーリング自身も北里なくして受賞はありえなかったと語っています。


現代の私たちの社会でも

「相応の評価」を

「をしてもらった」とか「をしてくれてない」、「をしてもらいたい」

ってよく聞きますが。

「相応の評価」ってなんなんでしょうかね?

誰が決めれるんですかね「相応」って

個々の人の感情や観念、時代背景、社会情勢、などなど人や環境やタイミングによっていくらでも物事の評価なんて変わってしまいますよね。

思い返してみると

私もたまに「こんなに良い事したのになんで評価してくれないの」とふてくされることありましたw

そもそも、ものごとの評価なんて期待するもんでもないくらい曖昧なものなんでしょうね。

それでもきっと私は、これからも何かしら誰かに評価を求めながら生きていってしまうのでしょうがw