昨日のブログでもお話しした通り、

戌亥天冲殺さんは

「家系のはみ出しもの」として、

親兄弟がいても甘えられない。

 

誰にも頼れない孤独な場所からスタートします。 

 

現実の枠に馴染めず、

夢見る夢子ちゃんとして葛藤する。 

 

なぜだか、どこにいても居場所がない

 

学問を知らなかったら

今でも

まるでも出口のないトンネルを、

重い荷物を背負って歩いているような感覚でいたでしょう。

 

しかも

私には結婚の才能も子供を持つ才能もないのですから

他人から見たら

かなり孤独な人生ですよね。

 

けれど、東洋の学問に照らし合わせてみたら

あんなに険しかった道でも、

私にとっては正しい道だったように思います。

 

戌亥の宿命は、「大器晩成(たいきばんせい)」の極み。 

頼る場所がないからこそ、

一歩一歩自力で踏みしめて

進んでいかないといけない。

 

それが歳月とともに

「誰にも真似できない実力」

という強固な土台になり、 

そして、その土台が完成した頃――

つまり、人生の後半戦に入ってから、

運気はそれまでの苦労を埋め合わせるように、

一気に空へと伸びていくのでしょう。

 

「あぁ、これまで大変だった分、

これからはご褒美の時間なのね」

 

宿命の地図は、私にそう教えてくれているようです。

 

現実的な実務を全うし、

50代から新しい自立を目指している今。 

 

ようやく私の本当の良い面が、

太陽の光を浴びて輝き出そうとしています。

 

「年を追うごとに、運はもっと良くなる」。

 この確信があるからこそ、

40代、50代、そして60代へと向かうこれからの日々が、

あの一人暮らしを始めた日よりも

ずっと軽やかで、

ワクワクしたものに感じられます。

 

ふふっ。 晩年運が伸びる。

なんて素敵な響きかしら! 

私は今、人生で一番「これから」が楽しみです。

 年を重ねるほどに、

私らしく、美しく。 

この上昇気流に乗って、

どこまで行けるか試してみようと思います。

 

 

私の宿命、戌亥天冲殺(いぬいてんちゅうさつ)。 

ここ最近、ずっと

この星を持つ人の宿命的な役割について

深掘りしてきました、

 

もうひとつ特徴的なものを挙げると

 

「家系のはみ出しもの」

 

 家系の恩恵を受け継ぐのではなく、

そこからポーンと飛び出して、

自分一代で新しい流れを創り出す運命にあります。

 

実はこの宿命、

「誰かに頼ろうとしたり、甘えようとしたりすると、

せっかくのエネルギーが発揮できなくなる」という、

とってもストイックな特徴があるんです。

 

「親兄弟がいても、いざという時に頼れない」 

「自分の力だけで、孤独な世界から出発しなければならない」

 

それを知って

突き放されたような、

どこか寂しい響きを感じました。

 

さすが、試練運と言われる戌亥さん。

 

だってそうですよね

 親の助けを借りていたり、

実家の家業を継いで安定していたりする人がいるのに、

 

「どうして私だけ、

こんなに一人で踏ん張らなきゃいけないのかしら」と、

心細さに震えました。

 

でも、頼る場所がないからこそ、

私は自分の足で大地を踏みしめるしかない。

 

 誰かが用意した正解がないからこそ、

私は自分の知恵を絞り、

独自のアーカイブを築き上げるしかない。

 

孤独な出発は、大変です。 

 

けれど、その「孤独」という荒野を一人で歩き抜いた時、

私たちの運気は、

誰にも邪魔されない場所へとグンと伸びていく。 

 

甘えを断ち切った瞬間に、

戌亥天冲殺の魂は、

強い光を放ち始めるのです。

 

私の「自立」。 

それは、かつての寂しい

「はみ出しもの」だった私が、

ようやく手に入れた「最高の自由」の証明です。

 

誰かの力を借りて手に入れる安定よりも、

自分の不器用な手で、

泥臭く掴み取った

「一人の世界」の方が、

ずっと誇らしくて、ずっと美しい。 

 

誰かに頼ることを手放した瞬間、

私の中に眠る「真実の力」が目を覚まします。 

 

孤独は、寂しさではありません。

私が「自分だけの王国の王」になるための、

必要な儀式なのですから。

 

誰にも頼らず、

でも誰よりも自由に。 

私一代で創り上げる新しい物語は、

まだ始まったばかりです。

4月。新しい出会いの季節。 

新しい環境で「葉和さんって、どんな人?」
という視線を感じるたび、
私は心の奥で、
ちょっぴりいたずらっぽく微笑んでいます。
戌亥天冲殺(いぬいてんちゅうさつ)の特徴に、
見た目はおおらかに見えますが、
 
・イヤなことやツラいことはしっかり覚えている
・「目には目を」と怖い人にもなる
 
というのがあります。
 

私、若い頃からよく言われていたんです。 

 

「お肉とか食べずに、お野菜ばっかり食べてそうよね」 

「汚れを知らない、純粋無垢で真っ白な人だと思ってた!」

 

ふふっ。本当の私は、全然違うのに。 

と、よく思っていました。

 

むしろ、戌亥天冲殺の宿命を持つ私は、

見た目の「おおらかさ」の裏側に、

驚くほどシビアでデリケートな

「リアリストの目」を隠し持っていたんです。

 

仕事でも「現実」の歪みや、人の心の機微を見てきました。 

 

お肉だって美味しくいただきますし(笑)、

嫌なことや、理不尽に傷つけられたことは、

昨日のことのように……いえ、

数十年分しっかりアーカイブして覚えている

「怖い人」な一面だってあるんですよ。

 

「真っ白」なんかじゃありません。 

私は、喜びも、怒りも、悲しみも、執念も……。 

あらゆる感情を飲み込んで、

自分だけの深い「迷彩色」を創り上げてきた、

一人の自立した女性なのです。

 

周りが勝手に描く「清純で大人しい」という枠。 

若い頃は、その枠に自分を押し込めようとして、

息苦しくなったこともありました。 

でも、宿命を知った今の私は、

そのギャップを逆にかっこいいと思えるようになっています。

 

この二面性こそが、誰の真似でもない、

私の正体だったのです。

 

 「あなたはこういう人だよね」と、決めつけられて

窮屈な思いをすることはない。

 

 「お肉を食べなさそう」なんて言われて、

こっそりステーキを食べるのをためらう必要もない。

 

誰かが描いた私の「白」に、染まる必要はない。

 

 誰にも見せていない「泥臭い情熱」や

「忘れられない傷」こそが、

私の人生を深く、美しく彩る絵の具になるのですから。

 

この「ギャップのある私」を、

もっと隠さずに楽しんでいこうと思います。 

 

真っ白に見える私の言葉の裏に、

どれだけ熱い「本音」が隠されているか。 

これからの更新も、どうぞ楽しみにしていてくださいね。