「真っ直ぐ、高く、強く」力強くそびえ立つ大木。 

 

仕事でもプライベートでも、

 

「自立したかっこいい女性=大樹のような人」だと思い込んで、

 

一生懸命に背伸びをしていたんです。

 

イメージは、そびえ立つ屋久杉。 

 

少々の風ではびくともせず、一人で堂々と立っている……

 

そんな自分にならなきゃ!と、

 

鼻息荒く頑張っていました。

 

でも、東洋の学問が教える私の「羅針盤」を広げた師匠は、

 

お茶をすすりながらこう言ったんです。

 

「葉和さん、あなたが大樹のフリをするのは、

 

金魚が陸を全力疾走しようとするくらい無理があるよ」

 

……金魚が陸を走る!? 

 

師匠、たとえが過激すぎます!

 

「いい、あなたの本質は、

 

どこまでも可憐でしなやかな『野の花』なんだよ。

 

大樹はね、あまりに強い嵐が来るとポッキリ折れることもある。

 

でも、野の花は風に合わせてしなやかに揺れる。

 

踏まれてもちぎれても、根っこさえあればまた何度でも芽吹くんだよ。

 

これ以上の強さがある?」

 

その言葉を聞いて、私はハッとしました。 

 

思い返せば、

 

無理して「しっかり者の大樹」を演じていた頃の私は、

 

ちょっとした批判やトラブルで「ポッキリ」心が折れて、

 

立ち直るのにものすごく時間がかかっていました。

 

「そうか!私は折れないために、もっと固くなるんじゃなくて、

 

もっと『しなやか』になれば良かったんだ!」

 

自分の種が「草花」だと認めた瞬間、

 

あんなに欲しかった「強さ」が、

 

実は最初から自分の中に備わっていたことに気づいて、

 

なんだか可笑しくて笑いが止まりませんでした。

 

明日も、私の報告をお楽しみに!

 

「えっ……私、ただの雑草だったの!?」

 

「……雑草じゃなくて草花ね。」

 

師匠の前で、私は思わず身を乗り出しました。 

 

50代。人生の折り返し地点を過ぎて、私はずっと焦っていました。 

 

「もっと立派な大樹にならなきゃ」

 

「もっと強くて動じない自分にならなきゃ」

 

周りのキラキラした活躍を見るたびに、

 

自分の根っこの浅さにガッカリして、もっともっとと自分にムチを打つ日々。 

 

そんな私に、師匠は穏やかな笑顔でこう言ったんです。

 

「葉和さん、あなたはね、大樹(甲)を目指しちゃダメですよ。

 

あなたは、雪の中で春を待つ、しなやかな草花(乙)なんですから」

 

……草花? しかも「雪の中」って、今まさに凍えてますけど!?

 

でも、その言葉を聞いた瞬間、不思議なことが起きました。 

 

今までパツパツに張っていた肩の力が、ふーっと抜けていくのがわかったんです。

 

「あぁ、私は松の木や杉の木にならなくてよかったんだ。

 

踏まれてもちぎれても、また春になれば芽吹く。

 

群れて咲いて、誰かと寄り添う。それが私の『正解』だったんだ……!」

 

東洋の学問という「人生の羅針盤」を手にした瞬間、

 

私のドタバタな物語が、音を立てて動き始めました。

 

雪の下で震えていた私が、

 

どうやって「自分だけの羅針盤」を見つけて、

 

フラットシューズで軽快に走り出すようになったのか。

 

私の人体実験(!)の記録をお届けします。 

 

明日からは、私の本質「乙丑」の秘密を、

 

ちょっとずつバラしちゃいますね。

 

お楽しみに!

実は、私、服が大好きなんです。

ご飯代を削っても服が買いたい みたいな。

でも、東洋の学問を学んで、「そうだったのか!」と膝を打ちました。 

私の中に、「戦いの中にも美を求める」「みすぼらしい姿を嫌う」という特徴があったんです。

それを知った瞬間、長年の謎が解けました。 

 

「だから私は、あんなに変なところで服にこだわってたんだ!」と。

 

昔から、たとえ心の中がドタバタで、ドジばかり踏んでいても、 

 

外見だけは「今の私が一番いいと思う姿」でありたいと思ってきました。 

 

それは見栄を張りたいわけじゃなく、私にとっての

 

「自分を元気にする儀式」だったんです。

 

でも、この性質、時々ちょっと空回りします(笑)。

 

ただお友達の家に遊びに行くだけなのに、 

 

自分なりの「美学」を詰め込んでコーディネートした結果、 

 

「えっ、葉和さん……この後どこか行くの?」 なんて、

 

お友達に言わせてしまうこともしばしば。

 

自分では「今日、最高に私らしいわ!」と思って、 

 

お気に入りのフラットシューズで意気揚々と出かけたのに、 

 

お茶を飲みながら「あ、私、今日もちょっと浮いてるな」と自覚する……。

 

客観的に見ると、かなり、いや、だいぶ間抜けですよね。

 

でも、学問を知った今は、そんな自分に堂々とハナマルをあげられます。

 

「外見にこだわる」のは、自分を投げ出さず、大切に扱いたいという愛の裏返し。 

 

たとえスーパーへ行くだけでも、 

 

「これが私の美学!」と思える格好をしていると、

 

 ドジを踏んで落ち込んだ心も、ちょっとだけシャキッとするんです。

 

東洋の知恵を学んで、心はどんどん自由になっていくけれど、 

 

まとうお洋服は、これからも私らしく「こだわり」を楽しんでいきたい。

 

「気負いすぎかな?」と自分を責めていた昨日を卒業して、 

 

これからは「これが私の生きる美学(笑)!」と笑って、 

 

大好きなフラットシューズを鳴らして歩いていこうと思います。

 

皆さんは、周りから見たら不思議かもしれないけれど、 

 

自分だけは譲れない「おかしなこだわり」、ありますか?

 

もし、そんな自分の「謎」があったら。 

 

東洋の学問と照らし合わせてみたら、その理由がわかるかもしれませんよ。