〇今の人見街道は、元々の人見街道とは違います。昭和59年に元々の人見街道に従来の久我山街道が組み込まれ、路線変更が行われたものです。


〇元々の人見街道は、府中の甲州道中沿いにある八幡宮から人見にいく「ひとみみち」と「こみとめみち」が合流し東に延びて甲州街道に合流しており、甲州道中の脇街道の役割を果たしていました。今は三鷹一小のところで北に折れていますが、元々はそのまま東に延び、今の東八道路を経由して甲州街道に合流していたようです。


〇一方、旧久我山街道は、おそらく今の連雀通り当たりから今の人見街道につながり、大宮八幡宮まで続く道だったと考えられます。今の人見街道は、京王井の頭線浜田山駅入口地点で井の頭通りに合流して終わりますが、元々は、今の井の頭通りの一本先の大宮八幡に至る道であったと思われます。大宮に通じることから「大宮街道」、下総への道として「下総街道」とも呼ばれていたそうです。


〇私は、部分的には何度も人見街道を歩いていますが、通して歩いたのは2回だけです。


 一度目は、2012年12月22日、二度目は2013年2月1日です。


 まず、一度目の様子をごらんください。


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「ひとみみち」と「こみとめみち」の合流地点は自衛隊基地により消失しているため航空自衛隊基地のすぐ近く、府中市若松町を起点とします。
http://pic.twitter.com/InnfVzlL


ここが起点です。道幅は狭いです。
http://pic.twitter.com/MAYS3txM


「若松防災センター」バス停の左手、正一位人見稲荷の参道入口です。
http://pic.twitter.com/wJnzA98f


人見街道は多磨霊園南100メートルくらいのところを通ります。
http://pic.twitter.com/D6lGQod9


観音寺の前を通ります。
http://pic.twitter.com/c06EKDMv


紅葉が丘の石屋さん前のお地蔵さま。銘も何もありません。新しいもののようです。
http://pic.twitter.com/JDMpPMm5


三鷹市に入ります。
http://pic.twitter.com/Z8hAYCBi


三鷹市の標識のすぐそばの表示は調布市。微妙な位置関係ですね、このあたり。
http://pic.twitter.com/jDM4zqOp


近藤勇の生家跡。となりには産湯を浸かった井戸があります。側の電信柱の表示は三鷹市大沢ですがここは調布市です。道路を挟んで向かいに撥雲館という道場跡があります。近藤勇の一人娘瓊(たま)と結婚して天然理心流五代目を継いだ甥の勇五郎の道場跡です。

http://pic.twitter.com/1ysnmMab


近藤神社です。
http://pic.twitter.com/27m47bIY


野川公園の脇にある地鎮様の社です。
http://pic.twitter.com/bpFFmOjM


龍源寺です。
http://pic.twitter.com/EuE58QTG


龍源寺の門前には近藤勇像があります。
http://pic.twitter.com/7shC9nyw

龍源寺左奥の墓地にも、甥の宮川勇五郎が板橋の刑場で肩の鉄砲傷を目印に首のない遺体を掘り起こして埋葬した墓があります。近藤勇の墓は、ほかに愛知県岡崎市法蔵寺、会津若松の天寧寺にもあります。
http://ameblo.jp/hanagamankaida01/entry-11946037131.html


龍源寺の門前に二基の庚申塔があります。宝永3年と明和9年で、いずれも青面金剛、三猿、日、月のオーソドックスなもの。笠付です。
http://pic.twitter.com/Tmny2JAO


龍源寺の門前の六地蔵さまです。
http://pic.twitter.com/r5Cr7cxi


野川を渡ります。
http://pic.twitter.com/CT9szKjX

旧道は、龍源寺から右手の道を通って相曽浦(あいそううら)橋を通っていたようです。


古い街道にはたくさんの神社がありますね。基督大裏門交差点で東八道路を横切って進むと大沢八幡神社です。
http://pic.twitter.com/U1DOGKL4


大沢八幡神社の御神木です。
http://pic.twitter.com/iKZNriBy


三鷹市大沢のあたりは「吉野」の表札のある大きな家がいくつもあります。大きな家は大抵「吉野」。名主だった吉野家(よしのけ。よしのやではありません)の一族の家です。
http://pic.twitter.com/sgKz6LAW


野崎八幡です。元禄二年創建。社殿は北向です。
http://pic.twitter.com/gdZVhl2g


明和7年1770年頃の鷹場の標跡。市が長久寺の二基のうち一基を借用しているものです。三鷹という地名はここからきています。
http://pic.twitter.com/u61jd9H5


仙川に架かる野川宿橋を渡ります。

pic.twitter.com/FkIyL34Y http://

三鷹一小近くの庚申塔です。元禄5年。
http://pic.twitter.com/FoYgQ0iz

 注;人見街道は、ここから昭和59年の路線変更により左に折れて旧久我山街道とつながりますが、本来は直進していました。後日、ここから直進する元の人見街道を歩いてみました。⇒コチラ


三鷹第一小学校の角を左折して進みます。連雀通りへの分岐点にある庚申塔です。元禄3年。笠付。
http://pic.twitter.com/lju18Hwz


同じく元禄5年の庚申塔です。
http://pic.twitter.com/6Ok71W3p


大盛寺墓地にある三木露風の墓です。赤とんぼで知られていますよね。 昭和3年から39年、交通事故で亡くなるまで、三鷹市牟礼に居住したそうです。
http://pic.twitter.com/xZExmMEs


道供養塔です。文化9年。人や車に踏みつけられ続けている道を供養したものです。日本古来の発想です。ここは井之頭弁財天への参詣道との分岐点です。ここにあった道標は神明神社に移設されています。
http://pic.twitter.com/QKz4gG1d


真福寺の前を通ります。雨が激しくなってきました。
http://pic.twitter.com/8YWUuGfP


古峰神社です。ここのY字路を右に行って迂回します。
http://pic.twitter.com/oYptxUlU
http://pic.twitter.com/6UJ6SdEJ


玉川上水に架かる牟礼橋を渡ります。元の道筋は、御嶽神社のY字路の右から迂回して手前の古いどんどん橋を渡ります。どんどんと言うからには昔は水量が多かったんでしょうね。
http://pic.twitter.com/XmDFuild


どんどん橋の袂に立つ石橋供養塔です。1757年。
http://pic.twitter.com/gS9LeCCj


牟礼橋の脇に立つ庚申塔です。
http://pic.twitter.com/DzgvhJNS


牟礼橋を渡るとやっと杉並区に入ります。
http://pic.twitter.com/TdNkIXxB


神田川に架かる久我山橋を渡ります。本来の道筋は、この手前から左折して久我山稲荷の前を通って西側の踏切を渡ります。
http://pic.twitter.com/TmuJJCpT


久我山に入ると道標付き庚申塔があります。享保7年。「これよりみぎいのかしらミち これよりひだりふちうミち」とあります。
http://pic.twitter.com/cBjmKWFw


高井戸で環八を渡ります。
http://pic.twitter.com/kv4Vx4Yz


松林寺です。
http://pic.twitter.com/gfT4yFw0

松林寺境内にもいくつかの庚申塔があります。人見街道には庚申塔が多いです。
http://pic.twitter.com/dKOCKLXl


ここで井の頭通りとぶつかって今の人見街道は終わりますが、大宮神社まで足を延ばします。
http://pic.twitter.com/abGvjX9G


大宮八幡到着です。
http://pic.twitter.com/E3EGkVme


大宮八幡境内の菩提樹です。
http://pic.twitter.com/m2GPSJQv


大宮八幡は来年(2013年)鎮座950年とのことです。
http://pic.twitter.com/vbcswoCj


大宮八幡のご朱印をいただいて終了です。
http://pic.twitter.com/ofFFlVlf


この後、2013年2月1日に二度目を歩きました。その様子はコチラ


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