幽霊にしろ宇宙人にしろ、信じる人と信じない人がいる。
霊能者としてテレビにも出ていた立原さんは、ずっと後になってすっぱりと
こう言い切った。
「見える人にとっては”いる”んだけれど、見えない人にとっては”いない”んです」
これって、「いる」を大きな意味をもつとして、「いない」をまったく意味のない
ものとして考えると、神仏に当てはまらないか?
釈尊はアートマンに対して「無記」avyākṛtaとしている。回答言及を避けたという
意味だけれど、aというのは否定形と考えると、有でもない無でもないという理解
もできる。
人は人生を生きる上で、信仰を必要とする人と、神仏を否定して生きる人がいる。
どちらも、人生を終わるという点にかんしては同じなのだから。
仏道を歩もうとしているものにとっては、真俗二諦を考える時、このバランス
感覚が空なのかもしれない。