ナーガールジュナといえば、「空」の言い出しっぺみたいなイメージだけれど

当時、部派仏教が盛んな中で、大乗仏教に懐疑的な王に宛てた手紙とされる

この「宝行王正論」。これを否定するならば、釈尊の教えを否定することに

なるという、戦略的な内容だと吉村先生。

かなり雑に私なりにポイントを集めてみた。(以下テキストより抜粋)

 

釈尊は「無我」「無常」を説いたが、何らかの実体を認めないと因果応報が説明できな いと、さまざまな部派に分かれて論争していた。 部派が釈尊が説いた教えに焦点をあてたとすれば、釈尊が説かなかったことに焦点をあてたのが、ナーガールジ ュナの仏教理解。

繁栄の法(輪廻のなかの幸せ。再び人に生まれることや、神々の世界に生れることを目指す)から、 至福の法(輪廻からの解脱や仏陀の境地を目指す)へ。 その実践としては、おおまかにいうと、信から智へ。

1:3 先に法による繁栄があるところには、後に至福があらわれます。なんとなれば、繁栄を達成した人は、順次 に至福へと向かうのですから。 1:4 繁栄とは幸福であり、至福とは解脱にほかならない、と説かれています。それを達成する道は、要約してい えば、信仰と知恵とであります。 1:5 信仰があれば法をうけいれ、知恵がそなわると法を真実に理解します。この両者のうち、知恵がかなめであ って、信仰はそれに先行します。

仏陀=一切智者、のはずなのに、なぜ問いに答えないのか(答えられない??)に対して、 それらの問いの答えは、実在論か虚無論のどちらか。真実はどちらでもないことをさとっているから、答えなか った。問いに答えないのが、一切智者のしるし、というのが、ナーガールジュナの理解。(無記について)

仏陀の境地に到る実践とされている六波羅蜜(布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧)のうち、智慧に主に関わ るのは禅定と智慧で、最初の布施・持戒・忍辱は、(智慧と関わらなければ)繁栄の法(釈尊が在家信者に説いた 施・戒・生天の教え)

 

引用長くて申し訳ない。ピックアップした箇所の寄せ集めになった。

最後の所、禅定と智慧を突き詰めていったのが、唯識派ではないかと

理解している。