悟りとは、悟れないことを悟ることだ、、、誰が言った言葉だろう?
「無知の知」はソクラテスだっけ?
テーラワーダを合理性とし、大乗は神秘性と捉えたなら、
これって、二極化しているようにも思える。極論は良くないって、お釈迦様も
言ってたのに。私はこの二つがあって、初めて仏教と呼べるような気がする。
悟れなくても、それを目指す実践が大事だと思う。実践なしで、祈りだけで
解脱などあり得ないし、それが極楽浄土に置き換えられるのも違うと思って
しまう。仏教には、解脱の為の仏教哲学の基盤がある。
それを無視して、神秘性だけに頼ってしまうのはどう考えても解せない。
私は愚かで弱い人間だと思う。けれど命ある限り菩提を求める努力がしたい。
苦しんでボロボロになったとしても、死の瞬間、きっと慈悲の光で抱きとめて
くださる仏様がいることが確信できるから。思いの様生きられる。