若い頃、村上龍が愛読書だった。彼自身も言っていたけど、

言葉にできない部分の唯一の代弁者だった。今でもある種のインパクトを

持っている場面がある。本の内容は忘れてしまったけど、、、。

「快楽の正体は?」という質問に「イメージ」と答える場面。

若かった私は、一瞬、ん?と思ったけれど、次の瞬間スゲーwと感じた。

まさに、意味をわかって生きていく事が、素敵だなと思えた。

このイメージは、仏教でも凄く重要な部分を占めていると思う。

まず、仏像や曼荼羅や仏画だ。これがなかったら凡夫は路頭に迷う。

ビジュアルに訴えかけるものが重要と考えたお大師様は凄すぎる。

日常、般若心経を唱える時などは、必ず観想をする。仏様の姿を目の前に

イメージしている。その元となっているのが、仏像や仏画に他ならない。

仏壇がある人は、そのご本尊様に手を合わせればいいのだけれど、

瞑想の時などは、このイメージを膨らませてたりして集中力を高めたりする。

けれど、これも難点があって、すっかりお寺には足が遠のく。

ドラえもんの どこでもドア状態になって、いつでもどこでも仏様が目の前

にいる訳で、わざわざ参拝もなあ~と、ズボラ仏教徒になってしまうのだw

イメージの大切さは、他にも色々あって、また機会があればふれていきたい。