こんにちは。
お久しぶりです。
昨年9月に、宿命鑑定師の資格を取りました。
あまり聞きなれない言葉に、
『えー?何?』
と思われた方も多いと思います。
という訳で、
今日は、私が宿命鑑定に興味を持った背景を、自己紹介とともにお話していきたいと思います。
物心ついた頃から、私だけ家族に馴染んでいない。
自分の事を、お荷物のように感じて、でもそれを上手く表現する方法も知らず、早く大きくなって、ここから抜け出したいと思っていました。
喋れない私を心配して、過保護に育ててくれる両親から離れないと自分が潰れてしまうと、なんとなくわかっていたからです。
家でも学校でも居場所がないと感じていた私は、一人で遊んだり、本を読んだり、空想している時だけ、自分に戻れました。
小学生の時、初めてオリオン座を見て以来ずっと、宇宙の虜になっていきました。
人と話すのが苦手でいじめられたこともありましたが、自然や動物を観察したり、車窓から見える家々を眺めては、そこに住む人々の生活を想像するのは好きでした。
親元を離れて東京の大学に進学。
人前で話す事には慣れてきたものの、
「誰も本当の自分をわかってくれない」と、自分の心を閉ざしていた私は、学生時代、
「なぜ人は生きなければならないのだろう?」
「なぜ差別があるのだろう?」と、
民族紛争やマイノリティという言葉に対して異常に反応し、いつか、誰もが平等に尊い命として存在できる世の中になればいいのにと、密かに思っていました。
社会人になり、英語はしゃべれないけれど、子どもの頃からずっと憧れていた福祉ボランティアをするため、イギリスへ。
そこでは、日本にいる時とは違って生きづらさが全くなく、のびやかに自由に、自己表現できる自分がいました。
日本と異なるエネルギーの流れる土地で、異なる言語、思考回路の中で生活するという環境が、こんなにも人に影響を与えるのだと実感できる、よい機会となりました。
夢は望めばなんでも叶うと思えるようになった私が、帰国後に出会った主人と結婚し、出産。
これから新しく楽しい未来が始まると思っていましたが、出産を機に人生が一変。
もともと子ども嫌いで、子育てすることに全く自信がなかった私は、だからこそ完璧な母親にならなければと、食べる物や睡眠の質、子どもに与えるおもちゃなど、一つ一つにこだわっていきました。
食品添加物は体に悪いもの、肌に直接触れるものはなるべく自然なもの、ああしなければ、こうあるべき…。
一日中娘にフォーカスし、情報迷子になって、全ての情熱をそこに注いでいました。
四六時中、娘の事で頭の中はいっぱい。
気づけば、私自身が心身のバランスを崩して顔に症状が出始め、一歩も外へ出られなくなり、うつ状態へ。
今度は、自分の病気を治すことにも執着していきました。
人に頼れず、こだわりが強くなっていた私は、なるべく自然治癒力を活かした治療法を探して、ホメオパシー、イトオテルミー、東洋医学、心理学、アートワークと、その時々でご縁のあったものを次々と学んでいきました。
そのなかでも特に、イトオテルミーやパステルアートとの出合いは、私の人生に大きな影響を与え、今では欠かせないものとなっていきました。
テルミーの温かく穏やかな光は、出口の見えない真っ暗闇の世界に怯え、凍りついていた私の心と体を優しく溶かし、うつ状態からも回復していきました。
また、もともと絵画を眺めるのが好きな私でしたが、自分がこれまで何度も繰り返してきたパターンを、アートワークという手法で内観していきました。
そこで気づいたのは、
『病気を作っているのは自分であり、それを治せるのも自分だけである』ということ。
康仁塾にご縁を頂いたのも、ちょうどその頃でした。
それまで誰にも相談できなかった人間関係の悩みも、宿命を知る事で、これまでに続けてきた内観と相まって、それぞれの資質の違いを理解でき、幼い頃から漠然と感じていた不安や孤独感を感じる意味も、「やっぱりそうなんだ」と開き直ることで、肩の力が抜けていきました。
子育てを通して、私のこれまでの価値観は180度変わりました。
当時の私は全く気づいていませんでしたが、娘をきちんと育てたいという意識は、娘を思い通りにしたいというエゴそのものでした。
あれだけ嫌っていた毒親に、自らなっていたのです。
結婚しなかったら、子どもが生まれなかったら、私は今でも、自分の我をそのまま通して、自分だけの力で生きられるのだと、好き勝手に生きていた事と思います。
親になる事で、両親の想いも分かりました。
きっかけを作ってくれた主人と娘に、命を繋いでくれた父母やご先祖様に、離れていても不思議な絆で結ばれている姉妹たちに、いつも私たち家族を支えてくれる友人たちに、言葉ではなかなか伝えられないけれど、感謝の気持ちでいっぱいです。
『失敗は豊か』。
こころが弱いからと、失敗することを恐れて、人に深入りするのを避けていましたが、ジェットコースターのような人生を、本当は望んでいたのではないかと、最近思うようになりました。
どこにも出口のない真っ暗闇を体験したからこそ、その時に出会った人々の温かさや小さな火のありがたさも身に染みて、出来ない自分のままでも、少しずつ外の世界に出ていけるようになりました。
「嫌い」という感情の裏には、「大好き」が隠れている。
これまでの学びから得た知識や体験、失敗を通して実感した、生きていることの楽しさやありがたさを伝えていくことで、皆さまとともに成長していきたいと思っています。
今後も、どうぞよろしくお願いいたします。