私が状況をかえていかなければ | ダーといつまでも・・肺がんの主人と家族の3年間の記録

ダーといつまでも・・肺がんの主人と家族の3年間の記録

2015年1月 ダー(ダーリン)に肺ガンⅣ期の診断が・・
3年の闘病中 普通の生活を望み仕事も頑張りました。
告知後も大好きな南の島にもたくさん行くことが出来ました
(告知後 ハワイ2回 ソウル2回 サムイ島 グアム オーストラリア行ってきました!)

だるさで体が動かなくなってきているダー


 


なかなか進まない仕事の引き継ぎ・・・


 


私が動いてなんとか状況をよくしてあげないと。


 


先週の金曜日 この日は3つの事をやろうと決めて


行動に移しました。


 


まず1つ目は去年、引き継ぎの人の手当を


お願いしにいっている会社の代表に


直接電話を入れることでした。


 


たぶんそこまで緊急性を感じていないだろうと思ったからです。


 


前回代表が車で待っている私の元に来てくれて


軽く挨拶しただけだったので


ネットで会社の番号を調べ決心して電話しました。


 


本人でなく私からの電話だったのでなにかあったのか


びっくりした声でした。


 


厳しい状況で来週には確実にどなたか


とりあえず仕事の内容だけ聞いていただけないかと


お願いしました。


 


やはりそこまでの状態だとは思っていなかった様でした。


 


先方の欲しい情報を確認して電話を切りました。


 


そして2つ目 地域の包括センターへ


介護ベットの手配を急いでもらう電話でした。


 


介護保険適用でなくて良いので至急お願いしたいと


電話しました。


 


翌日の搬入の手配をしていただけました。


(土曜日に設置完了。)


 


介護保険適用になるだろうと言うことでした。


 


そして3つ目 会社の社員達に状況を話して


協力をお願いすること。


 


この日もダーはネクタイを締めたまま


朝会社に出かける力がでなくて


ソファーで動けなくなり座ったまま寝ていました。


午後の外出の打合せにやっとの事で起き上がり


出かけ終了後は帰宅して休んでいました。


 


そして夕方決心して私一人で会社へ。


 


実は私は自宅で経理と総務の仕事をしていて


社員と会うことはこれまでありませんでした。


(忙しい時など奥さんにやってもらえばいいと


言われるから会社には来なくていいよと


ダーが私に負荷かけないようにしてくれていたんです)


 


この週 ダーの事務処理に同行して


初めましてと挨拶したところでした。


 


私一人で会社にあらわれたのでびっくりしたことでしょう。


 


「仕事の手が空いたら話したいことがあるので


声をかけてくれますか。」と集まってもらいました。


 


実は今厳しい状況であること。


今後の会社の運営についてと


ダーが現場に行くのがもう限界なので


仕事の協力をお願いしました。


そして私が話すことは本人は知らないことで


自分で話すと言っているが厳しい話はどこまで


話せるかわからないということ。


 


やはり最近あまりにも様子が変わってきて


びっくりしていると話してくれました。


そして体調を心配していたので話してくれて


よかったですと言ってくれました。


 


私も話せてほっとしました。


この日は気持ちを張った1日でした。


 


今日は3度目のオプジーボを無事投与してきました。


ダーとも相談して主治医に今後熱を出した場合など


自宅で診てもらえるように


訪問介護もお願いしたいと話しました。


ダーが投与中に相談室の看護師さんと


訪問看護の具体的な話をしてきました。


そこで看護師さんと本人に残された時間の事を


どう伝えるか話し合いました。


今月は仕事の引き継ぎがあるので


2月には本人に話す方向で行こうと。


きめ細かいサポート、ありがたい限りです。


 


今日は雪の心配をしていたのですが


12時に終わり車で帰ってくることができました。


 


今週はケアマネージャーさんと


訪問看護の診療所からも訪問があります。


 


ダーの体調に合わせて治療も


新たな展開になりそうです。


 


 




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