内藤清成陣屋跡が、近くにある事が判りました。ウオーキングで何回も近くを歩いていたのに、気が付きませんでした。相模原市の文化財です。

 

 

 

 

JR相武台下駅から近くです。

電車を降りて、真直ぐ道なりに、坂を上ってゆくと、左手に長松禅寺が有ります。

 

 

道を挟んで右側に、白山姫神社。

 

 

 

突き当りを、右に、右に回ると、長い黒塀の陣屋跡です。

 

 

 

内藤清成も岡崎の出で、徳川家康に従い、小田原城を攻略しました。家康に従い江戸に入り、五街道のうちの甲州街道口を守りに着きました。

 

その後、内藤清成は家康から相模国の東部(相模原市)の新戸村・磯部村・当麻村・下溝村・上溝村・田名村・大島村の七か村の5000石を賜り、所領を支配するため、陣屋を設けました。

 

陣屋は、内藤清成が駐在するためでなく、名主の安藤主水が責任者として着きました。

現在は安藤家の子孫が屋敷を守っています。

この小道を陣屋小路と言います。

 

 

 

 

 

屋敷の裏に周る道が有り、殿様が馬で通る、殿小路と言っていたそうです。

 

 

内藤清成は弘治元年(1555)三河国・岡崎に生まれ19歳で家督を継ぎ、浜松で徳川家康の小姓になるり、江戸の入るときは鉄砲隊を引きい。先陣を務めました。家康より四ツ谷から代々木にかけ屋敷地を賜り(現在の新宿御苑あたり)、明治維新まで内藤家の江戸藩邸となりました。関東総奉行にまで登りました。

 

 

慶長8年(1603)内藤清成の所領(現在の神奈川県座間市)に宗种寺を創建し、実父の竹田宗种と内藤清成自身の墓があります。

 

 

 

 

 

寺の境内には、徳川家康お手植えの銀杏の木も大きく育っています。