私の人生はほぼ病気のとの共存。

 

発病は中学2年生の秋。

風邪かな?と思った受診で蛋白尿ダダ漏れガーン

即入院⇒長期入院確定のため学校の付属している県内の病院へ転院

 

病気が発覚するまでには時間がかかりました。

たぶん、何か月も前からそれなりの症状はあって。

気になる時には、親に診療所には連れて行ってもらっていた。

ただ、すべての診療で診察室に親は同伴してはいない。

多感な中学生の時期、親の同伴は嫌だったんだろう、たぶん(笑)

 

指のこわばりが気になって受診した整形外科の診療所では、

尿検査で蛋白が出てるって言われたけど

成長期にはよくあるって言われて終わり。

尿検査までしてもらってるのに、そこで終わり。

他にも受診した近所の外科の診療所で、

頬に紅斑が出てるって言われて

先生が調べてたのは覚えてる。

でもそれもそこで終わり。

 

しばらくして、

部活で息切れがして走れなくなって、

部活を休む理由を作るために診療所ではなく、

総合病院を受診。

それで病気が発覚した。

あのタイミングで病院に行っていなければどうなっていたんだろう?

 

そこから1年近くの入院生活が始まったわけだけど。

当時一番つらかったのは、

ステロイド剤の投与でムーンフェイスになったこと。

いきなり1日18錠(90㎜)の服用だもの、丸くなるよね(笑)

あれは本当につらかった。

後に、もっと大変な骨頭壊死も始まる。

 

それからは、ステロイド剤内服のほか、ステロイドパルス療法もやった。

とにかく元気になるために、何度も。

貧血がひどくなって、人生初の輸血をしたり。

ステロイド剤の急な大量服用で、大腸がやられて緊急で大学病院へ行ったり。

病気の説明は両親が聞いているから、

当時の治療についてはされるがままが正しい。

つらい話も全部受けてもらっていたから、

両親のストレスも相当だったろうなと思う。

治療の大変さは本人の問題だけど、

それから先のあらゆる可能性の話を聞かなければいけないのも大変だ。

 

そして、中学3年の夏、

立派なムーンフェイスで別人になって(笑)ひとまず退院。

 

そして長い闘病人生が始まる。