【シェリーの歴史11】百年戦争の影響 | シェリーそそいで生ハムきって

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英仏百年戦争(1337-1453)って言うのは、ほら、ジャンヌ・ダルクが出てくるアレです。
そもそもはイングランド王国がフランス王国の王位継承を主張したのが発端で、主にフランス本土を戦場に断続的に戦われた戦争でした。

周辺国も英仏両国のいずれかに味方して参戦する国際戦争となり、スペインではカスティーリャ王国とアラゴン連合王国はフランス側に、イングランドにはナバラ王国とポルトガル王国が味方しました。

ただし、これはそんなに単純なものではなく、例えばカスティーリャ王国では、青池保子の漫画「アルカサル-王城-」で描かれたように、ペドロ1世(1334-1369)の在位中はイングランドとは同盟関係にありました。

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王位を争う異母兄エンリケ2世(1333-1379)にはフランスが味方しており、この争いが内戦(第一次カスティーリャ継承戦争:1366-1369)に発展、勝利したエンリケ2世が王位についてからフランスと同盟しました。
結構ややこしいのです(汗)

果たして百年戦争はフランスが勝利しました。
これによってイングランドがフランスに持っていた領土を喪失し、ヴァロア家が事実上フランスを統一したということになっています。
そしてこの結果が、ヘレスのワイン産業に大きな契機を与えることになります。

13世紀中ごろのイングランド王室でのワイン消費の3/4はボルドー産のワインで賄っていました。
当時のボルドーのワイン生産量の約半分はイングランドに輸出され、当時のイングランドの人口が約500万人と見積もると、単純に人数割りしても1人6瓶消費していたことになります。

百年戦争が始まると、戦場であるフランス北部からの供給は絶たれ、ボルドーへの依存はますます高まることになります。1390年代の記録ではボルドーから輸出されるワインの八割をイングランドが占めました。
イングランドはそのボルドーを失ったのですからエライこっちゃです。

ボルドーワインとは言っても、今知られているような赤ワインではなく、白ワインが主でした。
ここでボルドーの代替となったのが、ヘレスのワイン=シェリーだったのです。

15世紀、度重なる戦乱と、いく度かの疫病の流行などにより、人口は大きく減少、国力も疲弊していたスペインにとって天佑神助のような情勢の変化でした。
ヘレスではイングランドの需要に応える為、ブドウ畑は拡大、ワイン生産も増加、輸出量は右肩上がりに増大していきました。ヘレス市にはイングランドのプリマスへの出荷を記す1485年の公文書が残されています。

このように百年戦争は、イングランドへの輸出が始まったと見られる100年余り前とは比較にならないほど重要な輸出ワインへと、シェリーを発展させたのです。

<つづく>

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