転載記事です 【聖書に地獄という言葉はない 】 | かめのしっぽ☆'s ふらっと ふらいと ~旅ときどき日常~

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大好きな飛行機や旅のこと
飼い猫や家族ネタも盛り込んだ記事を、日々、綴ってまいります。
読んで大笑いしていただけたら、幸いです。

知人のお嬢さんが、結婚して子どもを産んだ。

初めての我が子の出産に
それはそれは自身も周囲も気を遣い
日々、大きくなっていくお腹を見ては
パパやママだけではなく
ばぁばとなる知人も、じぃじとなるご主人も
みんな、その日を楽しみにしていた。

無事の誕生を喜んだのも、束の間だったと聞く。

生まれた子は、数日、生きただけで
召されてしまった。

詳しいことはわからないけれど
突発性のものらしく
医療の現場でも、どうすることも出来なかったそうで。



こんな時、どんな言葉がけをすればいいのか、と
あれこれ言葉を探したけれど
正直、私には何も慰めや力になりそうな言葉が見つからず

ただ黙っているしか、なかった。


そんな時、クリスチャンという人たちが
あれこれと励ましの言葉をかけていたけれど
その言葉を聞いて、えっ・・・?と思ったことがある。

「赤ちゃん、とても残念だったわね。
 あまりにも可愛いので、神様が取られてしまったのかな。
 今頃、イエス様の腕の中で、安らかに眠っているわね。
 赤ちゃんのことは、大丈夫。
 いつもイエス様がそばに居て下さるわ。
 だから、あなたも少しずつでいいから、元気、出してね」

知人は一応、教会に通ってはいるが
他の家族は教会には通っていない。

傷心の娘を心配して、教会に連れて来たものの
娘からしてみれば、母親が通っている教会のメンバーとは言えど
自分にとっては見知らぬ人たち。

私だったら、そっとしておいて欲しいって
思うだろうけど
連れて行かれた場所で
いきなり、そんなことを言われたら・・・

相~~~~当~~~~~
傷つくと思う。
だって、何より、自身はまだ未信者なのだから。


一瞬、私は混乱した。
確かに「与える」のも「取られる」のも、神様だけど
それって、そういうことなのかな、と。

そして、その背後には神様のご計画、とやらがあるはずだから
「取られた」理由は何だろう、と。

また、人間とあらば、老若男女関わらず
イエス様を信じないで死んだ人はみな、地獄に行く、という話を
聞かされていたので

その論理が真理であれば
あまりにも幼過ぎて、自分の意思で「信じる」ことが出来ず
亡くなってしまう乳幼児たちは
全員、そのまま地獄に落とされてしまう、ということになってしまう。。。

神様って、そんなに残酷なことをするお方なのか

否、私にはそうは思えなかった。


そんな疑問を、長年、抱えていたけれど
この記事が、すっきりと、その時のもやもやを
払拭してくれた。



【聖書に地獄という言葉はない】

聖書に地獄という言葉はない。
こんなことを言うと、
クリスチャンではない人ばかりではなく、
クリスチャンでさえ、
そんなことはないだろう、と思うだろう。

しかし、よく聖書を調べてみるがよい。

聖書に、死んだ者の行く場所として、
「よみ」とか、
ギリシャ語の発音のままに
「ハデス」という言葉はある。
しかしこれは、あくまでも、
死んだ者の赴く場所という意味であり、
永遠に苦しみ続ける地獄という意味はないのだ。

では、なぜキリスト教で、
天国の真逆の場所として
地獄ということが言われているかと言うと、
間違いなく、
ローマ・カトリック以降の、
一般的な社会の中で、
さまざまな人間の思いと、
さまざまな宗教の影響のもと、
当然のように、
天国に行けなかった者たちが落ちる、
苦しみの場所ということで
地獄という概念と言葉が生じたのである。

しかし、昔からどのように言われようとも、
あくまでも聖書に立つならば、
地獄という言葉は聖書にはないのだ。

『黙示録』の最後に出て来る、
サタンや偽預言が落とされる
「火と硫黄との池」は、
この終末の時点で初めて登場する。
さらに興味深いことは、
死と「ハデス」とでさえ、
この火の池に投げ込まれるのだ(『黙示録』20:14)。
地獄が地獄に投げ込まれる、ということは、
あり得ないことではないか。

この「火と硫黄との池」を
地獄と名付けたいのならば、
その地獄はまだ造られていない、
と言わざるを得ない。

したがって、このブログでも
繰り返し述べているように、
イエス様を信じないで死んだ者が
地獄に落ちる、ということは、
聖書の記述からも否定されることになる。

そして、これもこのブログで述べているように、
(まだ読んでいない方は、
過去のブログ記述を読んでいただきたい)
イエス様を信じていない者は、
死んで一度、
ハデスと呼ばれる死後の世界に
赴くことは聖書が述べるところであるが、
しかし、そこは地獄のようなところではなく、
もう一度、いや、
イエス様を信じるまで何度でも、
この世に生まれ変わるのである。

したがって、
イエス様を信じていない者にとって、
最も決定的なさばきとは、
死でもハデスでもなく、
終末である。