こちらの記事からの、転載です。
『ある人がいた』
記事を読んで、深く感銘を受けました。
是非、ご一読いただけたらと思っています。
ある人がいた。
特に能力があるわけでもなく、
何をするわけでもなく、
また、人に迷惑をかけるわけでもなく、
人から褒められるわけでもなく、
ひたすら、平凡な人間であった。
ただ、他の人と違うことは、
神様を信じて救われていた、
ということであり、
それ以外に、特記すべきことは
全くなかった。
神様を信じているから、
お祈りは当然するが、
その言葉も特に優れてはおらず、
たとたどしく、
お世辞にも耳を傾けたくなるような
祈りではなかった。
しかし、神様は、
一方的な恵みによって、
その人に霊的力を注ぎ始められた。
それは完全に恵みであり、
恵み以外の理由は全くなかった。
そして、その人を通して
驚くべきみわざが起こり始めた。
結果的に、
その人を通して表された
神様のみわざは、
どんな有名な人物よりも、
どんな大きな教会よりも、
比較にならないほど
大きなものとなったのであった。
宮沢賢治じゃないけれど
「ソウイウモノニ ワタシハ ナリタイ」
・・・いや、それよりも
「ソウイウヒトノ タメニ イノルモノニ ワタシハ ナリタイ」
と、咄嗟に思いました。
実際にそういう人を通して
大きな、目に見えるコトが起こされたら
いろいろと批判的なことを口にしたり
冷ややかな目で見ていた人たちも
半ば、蔑んだ目で見ていた人たちも
きっと、きっと、何も言えなくなるのでしょうね。
神様が与えられた一方的な恵み・・・
自身で体験し、自分の言葉で、それを表現できる人が
きっと、きっと、現れるはず。
日本人にとって、わかりやすく
理解しやすく、抵抗なく受け入れてもらえるような
そんな証が、必ずたてられていくはずです。
日本人の特性にぴったり合った伝え方
それを成し得る導き手が、必ず現れるはず・・・。
神様に全てを期待して
ソウイウモノノタメニ ワタシハ イノリ トリナシテイキタイ
と、そう思います。