【転載】 『戻れるとしたら』 | かめのしっぽ☆'s ふらっと ふらいと ~旅ときどき日常~

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Yahooブログから引越して来た、かめのしっぽ☆です。

大好きな飛行機や旅のこと
飼い猫や家族ネタも盛り込んだ記事を、日々、綴ってまいります。
読んで大笑いしていただけたら、幸いです。

転載記事です。
これは凄い!と、記事を読んでいて思いました。

『真理に立って』~戻れるとしたら~

まずはご一読を♪


若者も疲れ、たゆみ、
若い男もつまずき倒れる。
しかし、
主を待ち望む者は新しく力を得、
鷲のように翼をかって上ることができる。
走ってもたゆまず、
歩いても疲れない。
 (『イザヤ』40:30~31)

私が24歳の時のことを
はっきり覚えている。

田園調布に住んでいる、
ある会社の社長宅に
おじゃました時のことだった。

広々とした庭を眺める、
広々としたリビングの
ソファーに座りながら、
その社長さんは私に年齢を聞いた。

「24歳です」と答えると、
「もし今私が、
あなたの年に戻れるとしたら、
今持っているすべてのものを失ってもいい」。
とおっしゃった。

さて、
クリスチャンの人にお聞きしたい。

もしあなたが、
若い時に戻れるとする。
健康であり、
生活も不自由のない条件である。
ただ、ひとつだけ、
イエス様を信じる信仰は失う。
救われてもおらず、
神様を知らず、
それから信じて救われるということも
保証されていない状態に戻るのである。

さて、あなたはそれでも、
若くて健康で、
生活にも不自由のない状態に
戻りたいと思うであろうか。

もし、
「それでも戻りたい」と
思うのであれば、
あなたは救われてはいない。

もし、
「そんなこと、想像しただけでゾッとする」
と思うのであれば、
あなたは間違いなく、救われている。

どちらであろうか。
【転載元:真理に立って


さて、ここからは、かめ☆のつぶやきです。

私のことを、知れば知るほど
「お気の毒な人生」と言う人が居るけれど
ホントにそうかな?と、私は思う。

長期に渡る親の介護と、それに伴う高額な支払いと
乳がんに罹患して、手術に治療に、更に副作用でいろいろ苦しみ
体重が激減りしたり、一気に数キロ増加したり
大量出血をして、ひどい貧血になるワ
健聴側の耳も、突発性難聴とメニエールを引き起こし
元から片側の耳は航空性中耳炎で、聞こえが悪いから
正直、声や音の高さがよくわからないこともある。

だから、肉体の健康なんて
一体、どういう状態のことを言うのか
私にはわからない。

病気だって、好んでかかっているわけではないし
人並みに、仕事だって続けたかったけど
あらゆる条件が、それを許さず
結局、一番、やりたくなかった「専業主婦」なる立場に
今は居るけど、家のこと・家族のコト、主婦のシゴト
きちんと毎日、やってごらん~。
物凄くハードだわよ。しかも、実家と自宅と、毎日2件分ね。

ばね指が酷くなり、利き手の親指が
どうにも言うことを利いてくれなくなったから
包丁、持てなーい。
料理も、素早く出来なーい。
時には、握る手に、力が入らなくなるから
刃物をふっと、落とすこともある。

おまけに内耳疾患を引き起こしてから、味覚障害を引き起こし
食べ物の味が、よくわからなくなってきた。
その上、たまごも生姜も、アレルギーがあって口に出来ないから
そのふたつが使われていないものを
外食で探すって、結構、手間よ~。

でも、肉体に関わることなんて
自分で「大丈夫な範囲」を知り、それを守っていれば
何ら不便も感じないし、見方によっては「わがまま」って言われるけど
それはその人の価値観から、私を見ているだけであって
たまごが食せない私を、オムレツ専門店なんかに
連れて行こうとするから、私に文句を言われるんだわ!(笑)

勿論、その人は、私が食物アレルギーがあることを
重々承知しているんだから
むしろ、「嫌がらせ」として、こちらが訴えたって、何も言えないはず。

笑って、言うけどね。
美味なる蕎麦屋じゃ、ダメなの?って。

包丁が持てないって小ばかにするけど
ナイフやハサミでも、十分代用出来るじゃん。
偉ぶってるなら、ナイフだけでカレー、作ってみなよ。
アタシ、出来るよ♪

それに、仕事をしていたら「専業主婦」より偉いってわけ?
やってみな~、仕事しながら、親の介護を20年以上~。

あれこれ言われたら、その分だけ
私だって、いろいろ言いたい。
でも、本当に信頼関係がある人にしか、直接は、言わない。

だって、世におけるヒトの価値基準なんてそれぞれだし
結局は、その人が、他者より優位に立って
何か安心を得たいだけ、ということがよくわかるから。


絶対的なものを知ってから
立場や時代、年代によっても変動する価値観など
私はどうでもよくなってきた。

確かに、私も20代、30代の頃は
介護の縛りはあったけど、ある程度、やりたい仕事をやって
そこそこ、きちんとした生活も身なりも出来たけど
安定した立場なんて、いつか終わる。そして、崩れる。

だから、そんな時代に「戻りたいか?」と問われたら
絶対にごめんだ。
そんなこと、考えただけでもぞっとする。


仕事も収入も健康も、父も元ねこも親友も
とてもとてもと~っても大きなものばかり、失ってしまった今、だけど
それは、不幸とは言わないもの。

イエス様との出会い、救いの体験
それが継続し、永遠の救いの中にあることこそが
私が生かされている理由だし、幸いなことだからね。

だから、本当の意味での「お気の毒な人生」って
私には、あてはまらないと思うよ~。