祈りの香 | かめのしっぽ☆'s ふらっと ふらいと ~旅ときどき日常~

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Yahooブログから引越して来た、かめのしっぽ☆です。

大好きな飛行機や旅のこと
飼い猫や家族ネタも盛り込んだ記事を、日々、綴ってまいります。
読んで大笑いしていただけたら、幸いです。

まいど~♪
 
今日は週に一度の礼拝の日。
夫も共に礼拝に与ることが出来て、感謝キラキラでございました
 
なんというかな・・・。
私一人が「単体」で教会に行くことも
勿論、イエス様の御言葉を慕い求めて…というアツイ思いに
神様はしっかり応えて下さるから
豊かな恵みに満たされることは、間違いない! のだけど
 
やっぱり、夫が一緒にその交わりに加わると
不思議とホッとするような感覚を覚え
これって、面白いものだなぁ~って思うのよ。
 
賛美をしていても、男声は、女声と違ってボリュームがあるし
ひとり加わるだけでも、随分と音の響きの層が厚くなるなぁ、と感じてね。
 
趣味のひとつ、とはいえ、彼は現役の合唱団員。
初見読譜の強さと、安定した音程で回る息を隣で聴きながら
つくづく、思っちゃうんだよね。
 
夫に、本物の信仰が与えられたら
きっと、凄いことになるだろうな、とね
 
それこそ、賛美だって、「つるかめ」 に
霊的一致のある男声が加わったら
倍以上の輝きが増すだろうなぁ~って思ったし
彼に与えられたその声も、余すところなく用いられるだろう。
 
勿論、母に関しても、同じ思いを抱いているわよ。
「家族の救い」 は、先に救いに与ったものたちに課された
大きな祈りの課題のひとつでもあるからね。
 
 
でも、今は直接、面と向かって言葉に出しては言うまい、と思う。
聖書の中には、こんな御言葉もあるからね。
 
『 妻たちよ。自分の夫に服従しなさい。
たとい、みことばに従わない夫であっても
妻の無言のふるまいによって、神のものとされるようになるためです
                            (ペテロの手紙 第一 3:1)
 
はっきり言って、誰かに強いられて
あるいは自分の思いや考えで、無理にコトをなしても意味がないし
信仰は理屈じゃないからね。
 
イエス様のこと (本物の真理) は、体験をもって悟るしかない。
 
まさに父が召される前がそうだった様に
「福音を伝えよ」、と主が背中を押した時こそ、動くけれど
「動かずにいなさい」「とどまっていなさい」 と言われている時は
まだまだ動かずに、ひたすら祈りをもって執り成すのみ。
 
まずは私が主に心を向けて祈り
祈ったことは、あとは神様の領域なので
主がコトを成して下さるのを、ひたすら信じて待つだけ、だ。
 
 
家族の救い、必ずその日は訪れるだろう。
神様が定められたその時を待ちながら
日々、淡々と祈り・とりなしていくことが
今の私のお役目なのだ、と今日の礼拝を通しても
強く強く示される思いがあった。
 
 
ま、祈りの課題はそればかりではなく
具体的に重荷として与えられていることや
祈りの中において、更に示される祈りもあり
本気でひとつひとつとりなしていたら、夜が明ける。。。(笑)
 
でもまぁ、自力で頑張って祈っているわけではなく
主の助けを受けながら、「祈り」 を通して
神様との交わりを楽しんでいる、という感じかな。
 
途中で祈り疲れて寝てしまうこともあるけれど 
そういう意味では、徹夜祈祷をすることもあれば
自然に1食くらいは断たれ、祈っていることもある。
(私は意識的な断食祈祷は、絶~対無理です。
お腹が空くと、集中力が散漫になりますゆえ。はいにひひ
 
祈りに導かれていく面白さ。
これもまた、救われた者たちの特権と醍醐味なのかもね。
 
 
『 彼が巻き物を受け取ったとき
 四つの生き物と二十四人の長老は
  おのおの、立琴と、のいっぱい入った金の鉢とを持って
 小羊の前にひれ伏した。この香は聖徒たちの祈りである』
                             (黙示録5:8)
 
イエス様に捧げられた、香としての聖徒たちの祈り。
 
 
『 また、もうひとりの御使いが出て来て
 金の香炉を持って祭壇のところに立った。
 彼にたくさんのが与えられた。
 すべての聖徒の祈りとともに
 御座の前にある金の祭壇の上にささげるためであった
 
 香の煙は聖徒たちの祈りとともに
 御使いの手から神の御前に立ち上った』 (黙示録8:3,4)
 
そして、聖徒たちの祈りとは別の祈りの香が立ち上った。
この香は、イエス様のとりなしの祈りと考えられるそうな。
 
 
   私たちの祈りは不完全であるが
   それに、また、イエス様のとりなしの祈りが加えられて
   神様の御前に立ち上る。
   したがって、私たちは必要以上に
   自分の祈りの未熟なことを気にすることはない。
   どんな祈りでも、イエス様によって、神様の御前にささげられるのである。
                               (メッセージプリントより)
 
私たちクリスチャンの、祈りの最も中心にあるものは
「御国が来ますように」(マタイ6:9) というものだけど
いよいよ時が満ち、その祈りが成就する時となれば
結果は、明らかだ。
 
私も肉体のいのちある限り、とりなしをやめるわけにはいかないけれど
だからこそ、祈りとて、いのちがけでもあるんだな、と、ふと思う。
 
なにより、私が「単体」であるよりも、夫や母も同じ神様を信じ
日ごと、夜ごと、心を合わせて主に祈ることが出来たなら
その香はきっと、金の鉢を満たし
香の煙が加えられて、神様の御前に、麗しくささげられることだろう。
 
その日が、1日も早く来ますように!
 
 
 
* おまけ *
オモロイ菓子パンを見つけましたよん♪
かめ☆ でございまーす
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1匹 200円で Get!してまいりましたぁ。
ちょいと、角度をかえて、もう一枚。。。
カメロンパンでっせ☆
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今朝、起きたら
母がゴーカイに、カメロンパンを頭からがぶり!と
食しておりました。
「美味しかったわぁ~♪」 って喜んでいたけれど
 
何だかちょっと、フクザツな気分になった、かめ☆でした。。。
因みに、この商品には「しっぽ」は、付いていなかったそうです。
残念~~~っあせる