ふぅ・・・
まだため息ついてんの~?なんて言うなかれ。
家の中のオシゴトは、ホントにEndless なんだわサ。
昨日の 「カビ」 の一件は、無事に片付いたけれど
2年前、引っ越してきて押入れに突っ込んだままのダンボールが
一向に片付きやしない。
隠されたお宝探しとあらば
気持ちも少しは前向きになろうものだけど
ダンボール、だからねぇ。。。
入っているモノも知っているしねぇ。。。
今まで使わなかったものだから
この際、思い切って、全部捨ててしまおう!と
2年ぶりにガムテープを剥がし、処分のために分別へ。
ん???
あれあれ~~?
なんだか・・・懐かしい本が出てきたよ。
「教会手話辞典」 だって。
しかも本の表題の左上には
わざわざ赤い文字で
「本格的」 という言葉まで添えられている。
中を開くと、赤ペンでのラインや
小さな文字の書き込みがあり
ページにも付箋がいっぱい付いている。
ふぅ~~ん。。。
高校3年の時、ひょんなことから手話を学び始め
大学2年の夏に県の手話通訳認定資格を取って
耳の不自由な方のお手伝いをさせていただいたのだけど・・・
社会人になってからは、本業が忙しくて
そちらはすっかりご無沙汰~になっていた。
教会に出入りするようになるまで、ね
もう、「手話」 のことは、すっかり忘れてたよ。
最初に通っていた教会は、割と大きな教団の教会。
聴覚に障がいを持っておられる信徒さんたちも結構いて
「あなた、手話が出来るのなら、礼拝説教の通訳者、めざしてみない?」
なんて声をかけられ、それも与えられた賜物よぉ~と更に煽られ
この本をいただいたんだっけ。
教会も、専門用語が多いからねぇ。
知らない言葉がいっぱいだった。
イラストで描かれていても、手話は3次元的な立体言語だから
直接、見て学んだ方が早いし確実!
ま、ね。
何度も書いちゃうけど、1年も経たずにその教会からは出てしまったので
教団内の手話サークルで知り合った方々とお喋りしたり
せいぜい、賛美の通訳をした程度で終わっちゃったけどね。
もう、使わないだろうな、とあの日以来
手に取ることもなくなっていた1冊だ。
ぱらりとページをめくってみた。
なるほど、50音順になってるんだ。
最初の言葉は 「アーメン」 だって。
手のひらを上に向けて、両手の親指と人差し指を2回
ちょんちょん、と合わせる動作。
これは日常会話でも、ホントに良く使う。
誰かの話に賛同して、「そうそう!」「同じ~!」っていうのと
全く一緒。
まさにAmen ←「その通りです」 っていう意味だもんね。
で、ふと、思った。
いつも目にするたびに、気になる言葉があるのだけど
キリスト教でいう 「罪」 という言葉のこと。
ウチの教会でも、それこそ耳タコ状態で聴いてきたけれど
道徳的な概念での「罪」や「犯罪」 という意味ではなく
これは、「神様から離れている状態のこと」 ですよ、って。
教会手話辞典には、どのように記されているのだろうか…と
真っ先にここを引いてみた。
「罪」 心の罪・・・心の中で悪いことを考え続けること。
この手話の語源は「へそ曲がり」という
意味なのだとか。
そこから更に派生して
「不良」→「罪」 となった、って書いてある。
ふう~~~む。。。
もうひとつの表現
「罪」 実行した罪・・・心の中で考えた悪いことを実際に行うこと。
ふう~~~~む。。。
他にも、両手首を交差させて
縄で縛られたしぐさを模した表現もあるそうだけど
私が今、もし通訳をするなら
「神様から離れている状態」 を言い表す「罪」については
それらの表現は、どれも使わないだろうな~と思ったよ。
折角の立体的言語だもの。
「三位一体なる神様」 から 「離れている状態」 を
そのまま用いちゃうんじゃないかな~なんて思って、ネ。
手は、2本あるし。
実際、現場で活躍しておられる通訳者の方々は
どんな表現を用いているのだろうか、と
ちょっと気になってしまった・・・。
今、教会で歌っている原語の賛美を
日本語で意味取りしたりする時なども
凄~く感じるのだけど
言葉の訳って、その方の能力や技能は勿論だけど
やっぱり、訳された言葉の中には
その方自身の持つ霊性が大いに反映されているように思う。
「訳は、言語の知識だけでするものではない。
体験を通して訳せるようにしなさい」
なんて言われたことがあったけど、なるほど・・・だ。
今なら、わかる。
この本、合間を見て、また眺めてみよう。
やっぱり、押し入れに押し込まれている段ボールたち
開封せずに廃棄処分するのは
ちと、マズイかもナ
(追伸)
手話、ネ。ホントは動画でアップするのが
一番わかりやすいのだろうけれど
何しろ、身近な手タレにはピンクの肉球があってサ… (笑)
やむを得ず、私の激しいイラストで、ごめんなちゃいっ