この頃は何かと不安や疲れを訴える人が増えたせいか◯月病というのが次々出現している
昔から聞いていたのは五月病→これは歴史が長い笑
4月の環境変化から一ヶ月経ち、張り詰めていた気持ちがふっと途切れたり緩んだりして自分の心身の疲れに気づく、みたいな
少し前には三月病ってのも聞いた
年度末の忙しさや花粉症、寒暖差に対応できずに体調を崩す
そしてこのたびの四月病
しかも4月1日にメンタルクリニックを訪れる人急増とか
こうなると毎月◯月病と命名される不調が出てきそう
それに対する意見などは言わないでおきたいが、四月病といえばまだ私が30代前半の勤務校にもいましたわ
4月1日はどの学校でも新年度初の職員会議がある
ペーパーレスの今とは違って学校の年間の仕事が網羅された分厚い冊子が配られ、読み合せが行われる
経験ある教師たちでさえ新任校の初日は頭の中ごちゃごちゃで、プリントに目を通していても何も頭には入ってこない
けどいくらかの経験でそれも通過儀礼とわかり、新任でない職員たちがそれらをもとにスッスと歩き出す
そして新任職員に優しく説明したり動きを教えてくれるのだ
たいていの新規採用職員も不安にかられながらも周りに助けられて一歩を踏み出していくのだ
そのうちに優しい人ばかりではないことも、とんちんかんな人がけっこういることもわかってくるけど
自分はすごい⤴️⤴️と思っている人もいるから、自分は決してこうならないぞ!と心に決めてきた
さて、私が30代前半に起こった事件
4月1日の職員会議の席に新規採用の男性職員の姿がない!
寝坊?
時間を間違えている?
腹痛?
などなど想像しつつ10分ほど待ったが欠席の電話もないので教頭が彼の住んでいる(はずの)教員住宅を訪れたが
もぬけの殻👀‼️
そして書き置きがあったそうな
「自信がなくなりましたので辞めさせていただきます」
そう、彼は4月1日を待たずして4月病となって帰郷してしまったのだ
彼は県外からやってきたのだという
事前に渡された4月当初のスケジュールを見て「もうダメ😵🌀」と思ってしまったらしい
闘わずして去りし人よ
すでに担任するクラスも決まっていたし、このまま入学式を迎えると「担任は決まっていません」ってことになる
それから入学式までの数日、管理職や教務主任、教務たちは血眼になって代替教員探しに走り回り、ギリギリのところで何とか見つけることができた
しばらく教職から離れて専業主婦をしていた方だったが、戸惑いながらも水を得た魚のようにバリバリ仕事をこなしていった
親しく仕事をさせていただくことができた
まだ平成に替わったばかりの頃の話である
あの頃は前代未聞の出来事だったのに今は珍しくはないことになってるのね😞💨
数年前にも知っている若者が4月1日に辞めてしまった
しかも自分で申し出ず、代行の人にあとを託して…
そういう仕事があることを初めて知った🤪
古希間近な身としてはこれからの世の中どうなっていくのかしらと不安になってくるのですがね
ICTについていけないので辞めます❗といいたいのに辞められない私は
「どこまでもアナログ人間ですがそれでもいいのですね」と開き直りとも脅しともつかない態度で臨んでおりまする😝
これも年の功ってやつですかね😎
四月になってから一度も家の庭に足を踏み入れていなかった
今日は勤務日ではないので朝はゆっくり
曇っていたけれど外に出てみた
チューリップにつぼみもついていた
水仙も
寒冷地もようやく春だ
さて、今日は久しぶりの公民館コーラス練習日である
4日間の慣れない場所での勤務疲れは残っているけれど、馴染みのメンバーに会えるのは心休まる🌸