夏休みにはあちこちの小・中学校で合唱コンクールに向けていつもより長めの練習が行われる。
このあたりでは夏休みに入ってから約1週間後がコンクールの地区大会である。
かつては私も暑い中体育館で練習していたものだ。
今より熱中症の心配が少なかったなあと改めて思う。
還暦を過ぎ、あと数年で古希を迎える私にも時々「練習をみていただけませんか?」と声がかかる。
そこで
「お役に立てれば☺️」
なんてついつい言ってしまうのが私のいいような悪いようなところ
自分がなんぼのもんじゃ!と思うけれど、表したい音楽が諸々の問題でできないと悩む先生に少しでもヒントを与えられたらと思ってほいほい出かけてしまうのだ。
そんなとき、指導の先生が「呼ばなきゃよかった、大事な時間を返して!」と思わないようにだけはしたい。
子どもたちが
「あ😃💡何か歌うのが楽になった。声が出るようになった🎵楽しかった❤️練習に来てよかった。」
と思ってくれる時間にしたい。
夏休みの過酷な練習に耐えている子達なんだから。
いや、過酷な練習をしている学校からはお呼びはかからない。
文字通りの過酷な練習をしているところを見るのも嫌だ。
私も顧問をしていた時代、練習はけっこう厳しかったが、忘れちゃいけないのはそこでも笑いをとること。そして練習時間はきっちり守ること。
休憩時間はたっぷりとること。
まだ30代の頃、近くのカリスマ先生のご指導を見学させていただいたことがあるが、「いや、これはないだろう😖」という場面に出くわしてしまった。詳細は怖くて書けない((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル
昨今話題のブラック部活+カリスマ指導者
「子どもたちがどうしてもやりたいっていうから」(と言わせるように洗脳してるとしか思えない)って、小学生がお弁当持参で一日中練習声帯壊すわ!
私は為末大氏の意見に賛同する。
毎年いくつかの学校にお邪魔するが、子どもたちもそれぞれに持ち味があり、その持ち味を何とか生かそうと奮闘しておらる先生方のお役に少しでも立てばと思う。
一番嬉しいのはコンクールが終わってから「本番が今までで一番よい演奏ができました🎵」「子どもたちがいい顔してステージから降りてきました❣️」との連絡をいただく時。
県大会出場を目指していた学校が「県大会に行けます❣️」ももちろん嬉しい。
それぞれの合唱団の目指すところに近づくお手伝いをするのが私の行く意味だと思う。
心にいつも留めているのは
私が練習にお邪魔していくらかのお役に立てたとしても、それぞれの合唱団の歌は子どもたちと先生の日頃の活動の上に成り立つものだ、ということ。
私のちょっとしたアドバイスを受け入れてくれる寛容で柔軟な心が育っているからこそ私も行けるのだ、ということ。
そして私自身も彼らからエネルギーをもらっているということ。
さあて、本日午前中も歩いて10分のところにある母校の合唱団に出かけるとするか🎵車でね😉
午後は勤務だし。
私が通っていた頃には合唱団なんてコジャレたものはなかったなあ。