朝晩涼しくなり、目覚めても布団から出るのが億劫な、季節になって来ました。窓を開けると紅葉が目に届くようになりました。
「田舎」暮らしなので、散歩していると「コスモス」などの秋の草花や「紅葉」に癒される季節になって来ました。
公園に家族で紅葉狩りに来て、お母さんと手を繋いで、「もみじ」に手を伸ばしている「子供」の様子を「絵手紙」にしてみました。
お昼に「芝生」の上で「お弁当」を広げて、お母さんが準備した「おにぎり」を美味しそうに食べる様子が可愛かったですね。
荒了寛著の「生きるとはなあ」を読み、今後の人生の生き方について色々考えさせられました。
了寛さんは障害のある子息の治療の為、ハワイで天台宗別院の貧乏寺を自費で創建し、絵の販売で維持費用を捻出した。
地元TVで「1分間法話」を8年間続け、仏典、中国古典、家訓、名言等2,000句を「英語」で分り易く紹介し評判になったそうです。
了寛さんは、「子供」のお蔭で「生かされている」事を知り、生きる事は
1)「人」を喜ばす事
2)「己」を忘れ「他」を利する事を続ける事
3)「人」の悲しみ苦しみを、「共」に悲しみ苦しむ事
4)人に何でも「あげる」事、「物も心も」
5)「絵」を描く事
6)「祈る」事
と考えているそうです。
自分が「共感」した言葉には
1)「人のせい」にしている事を、皆「自分のせい」にして
みると旨く行く
2)「夢」を持つんだね、「夢」で終わっても、それだけ
人生は「豊か」になる
3)「屏風」は折れるから立っており、「突っ張って」いると
直に倒れてしまう
4)「泣き」ながら生まれて来たので、「長い人生」も泣く度に
生まれ変わるよ
5)「風雪」に耐える事で、「悲しみ」も深い幸せに、「愛」は
本物になって行く
6)「我慢、我慢、ここは我慢」、どんな「長雨」もいつかは
止むもの
7)「鬼の心」で見ればこの世は鬼ばかり、「仏の心」で
見ればこの世は皆仏
8)「今が幸せ」と思わないと一生幸せになれない、
「幸せ」は心の持ち方
等がありました。
本書を読んで、「相手」の立場を考えて、「優しい」言葉や「微笑み」をかける、「思いやり」の心があれば、自然に「人格」も備わり、人生も「開けて」行くものだと感じました。