「手術をしなければ、やがて
左耳が聞こえなくなってしまう」
と聞いたとき

真っ先に思ったのは

私などに
そのような手間とお金をかけるのは
勿体ない、ということでした。

これは
私が卑屈なわけではなく
おそらく
主婦の立場にある同世代の方なら
共感いただけるのでは、と思います。
 

将来のある子供たちや、
家族を支えている夫なら、
是非受けてほしい治療だけれども

命に別状がないのなら私はいい、
その分何かのときのために
とっておきたい、と考えるのが

いわゆる
「お母さん気質」なのではないかと
思います。


「音楽で食べてるわけでもないのだから」
などと
手術の直前まで迷っていた私の
背中を押してくれたのは
両親の熱意でした。

「うちらの年齢になったとき困るから」
私の未来を思いやってくれたのです。

この人たちにとっては
私が希望なんだな、と
思いました。

自分を粗末に思うことは
自分を愛してくれる人を
粗末にすることなのだと気づきました。


更に


前にも書きましたが
ひとつの手術には
とてもたくさんの方々が関わらます。

私が聴力を取り戻すために
主治医はじめ大勢のかたが
取り組んでくださいました。

それだけの手が掛かっているこの体を
これからはもっと

大切にしなければならないと
強く思っています。


本当は
手術など受けなくても

こうして生きられているのは
たくさんの方のおかげてあるということに
気づくべきでしたが

鈍い鈍い私に
神様はこの出来事を
下さったのですね。
ありがたいことです。



右矢印続く