「花の墨通信」14巻8号・号外  (回答)花墨 汎潤

ー 相談室「パンセ・ソバージュ」第91回

全体知をどう回復するか」その(8-2) 2024年8月22日発行

 

A36 現在自民公明与党は<裏金騒ぎ>で<憲法改正問題>がなおざりになっていますが、わが国には実は根本的な<大いなる溝(みぞ)>が横たわっています。まさに<構造的矛盾(むじゅん)>ですね。右側の岩盤保守層は<わが日本の魂の根源は天皇=神であるという皇国史観>をたてまつり一歩もゆづりません。左側のリベラル(自由)派は<天皇は神から下界に降りて人間となり、国民統合の民主化のシンボル(象徴)になったのにすぎない>といいます。徹底しているのは日本共産党で、将来政権をにぎり国民の総意があれば<天皇制廃位>も視野に入ると掲げています。つまり<君主制と共和制という平行線>が現行の憲法中に織り込まれ、それを<象徴天皇制>というウルトラ装置によって交錯させた、という感じですね。二次元ではあくまでも交われない平行線を<超法規的な次元>で立体空間のなかで交わらせた、ということになります。このベクトル(志向)をどう思いますかね?

Q37 ほとんどの国民は皇室をあがめていますよ。昭和天皇以来<皇室は国民の労苦をねぎらう姿勢で一貫>しています。戦前のように<皇国史観を狂気のようにふりかざす姿勢ではありません。こんな優しい柔軟な皇室の姿勢はいかにも<国民統合の民主的なシンボル>と言えませんか。いかがですか?

A37 いや、<権力の魔性>はときに<狂気となって主権者のはずの民衆に襲(おそい)いかかり>ます。正当化する理由は案外いくらでも見つかるのです。ゆえに君主制という硬直しやすいX軸>と民主制という柔軟過ぎてゆるみやすいY>という<時間座標(9)(略称=国体観座標)>をもうけて、われわれ国民はつねに警戒する必要があります。そうでないと、天皇は《象徴から元首へと神格化》され、つねに<絶対化するまなざし>にさらされやすいのです。Y軸の<民主制死守のベクトル>は国民がいかにふだん<絶対化を警戒し、相対化するまなざしを鍛えているか>にかかっています。ユーモアはそんなときに発動するブレーキ役ともなるでしょう。

Q38 <君主制は硬直しやすいX軸>で、<民主制は柔軟過ぎてゆるみやすいY>というのは、時間座標のもつ<適応性原理>と<創造性原理>にどう対応するのですか? 難しいですね。

A38 いや、難しくはありません。<権力の魔性は専制的になりやすく、民主制の自由はゆるみ過ぎて自堕落になる>のが自然の摂理(せつり)です。適応と創造の営みはつねにウラ・オモテです。油断しているとひっくり返るんですね。X軸の適応行動に<公益性があるかそれとも私益性があるか>、Y軸の創造的な打開行動に<貢献性があるか、あるいは反社会性があるか>の条件をとって、国民はつねに<良質のオピニオン(世論)形成>に油断なくつとめる必要が欠かせません。デモクラシー(民主主義)はこわれやすいのです。こんなときにこそ<全体知>の知恵が生きてくると言えるでしょう。

Q39 少しは眼前の霧が晴れましたよ。次回はぜひ《超メカニズム時代の未来宗教のあり方》にチャレンジしてみてください。どんな仏教なんでしょうか。楽しみです。   (今月の連載終わり)

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