「花の墨通信」14巻8号・号外
(回答)花墨 汎潤
ー 相談室「パンセ・ソバージュ」
「全体知をどう回復するか」
その(6-2)
2024年8月20 日発行
Q27 これがなぜ日本との外交史料になるんですか?
Q28 すると当時の日本軍はけっこう強かったわけですね。いかがですか?
A28 いや、負けたこともありますよ。白村江(はくすきのえ)の戦ですね。日本神話の<神功皇后>の話はその<まゆつばストーリー>の一巻です。「神功皇后は実在した人物ではない。朝鮮半島での軍事行動や外交交渉についての伝説を再構成し、「日本」や「天皇」と「任那日本府」を正当化するための潤色を加えて、白村江で戦った斉明「天皇」をモデルにし、『日本書紀』編纂時点で新たに創造した人物であろう。」「四世紀から伝来している遺物について、古くから天皇や氏族にかかわるものであったと解釈を加えて後付けし、天皇や物部氏の権威づけのために利用したのである。」(『倭国の古代学坂靖著、新泉社刊行』
Q29 はからずも三つめの疑問点が浮き上がってきましたね。<『古事記』『日本書紀』はなぜ妖(あや)しいのか?>という<資料の客観性>への疑問です。これについてはいかがですか?
A29 では、『古代史論争の最前線』(宮本美典著、柏書房刊)からいちばんの問題点を探ってみましょう。<歴史観>について同書はこう指摘しています。
「太平洋戦争まえのわが国においては、『古事記』『日本書紀』にある数々の矛盾を含む記述そのままを、歴史的事実とする教育が行われました。いわゆる皇国史観(天皇中心の国家体制を正当化した歴史観で、戦前の精神主義を支えました)が、歴史の科学的研究の方向を押しつぶし、その精神主義により、わが国は太平洋戦争敗北への道を歩んだのでした。
戦後の古代史学は、皇国史観とは反対の立場からの、津田左右吉の主張する文献批判学の立場をとり、津田史学が優勢となり、その方法が科学的根拠をもっているかどうかが検討されることなく流布された感があります。」
「津田は、主として『古事記』『日本書紀』の記述のあいだの食い違い、あるいは相互する矛盾を取りあげ、そこから、記紀に記されている神話は天皇がわが国の統一君主になった後に、第二十九代欽明(きんめい)天皇の時代のころ、すなわち六世紀のなかごろ以後に大和朝廷の有力者により、皇室が日本を統治するいわれを正当化しようとする政治的意図にしたがってつくりあげられたものである、と説きました。
端的に言えば、神話はいわば机上でつくられた虚構であり、事実を記した歴史ではない。ただ、それをつくった古代人の精神や思想をうかがうものとしては重要な意味をもつものである、と津田は言うわけです。」 (明21日ヘ続く)