「花の墨通信」14巻8号 

        2024年8月2日発行 

-「ロータス・ワールドへのいざない」

    by Hanjhyn Hanazumi

    その(179-2)      

 

A600 父親は漁師のリーダーだったのですから、そんなに下賤(げせん)の者ではないのに、あえてこう言い放つのにはイエスと同じように<貧しい人々に寄り添い、民衆救済に生きたい!>という日蓮らしい心根が、この<せんだらが子>という言い方にひそんでいます。その意味で数ある宗教家のなかでイエスと日蓮とはまさに時代を切り開くのに《異彩を放つ》存在といえるでしょう。

Q600 言われてみると、二人とも<人類のメシア(救い主)>といえるのでしょうか? 違いはイエスは刑死し日蓮は処刑されなかったわけですよね?

A601 ええ、日蓮も刑場にひったてられてあわや頸(くび)切られん!という寸前でした。なんと! UFO(未確認飛行物体)ともいえる<光りもの>が飛んで、昼間のごとく明るくなり、目がくらんだ役人はふるえてしまい<首切りを止めた>と言います。これはきっとたまたまそのとき<大きな流星が飛んだ>わけですね。が、一説には鎌倉幕府執権(首相格)の奥方がちょうどお産をひかえており、《不吉を避けて急きょ佐渡流罪(るざい)に変更》したともいいます。これは江戸時代の噂(うわさ)ですが、こんな可能性も否定できません。

 要するに日蓮はイエス以上に<苦難に直面>しその苦難をことごとく転じて、晩年にはついにはメシア(救い主)に近い<上行菩薩(じょうぎょうぼさつ)の再誕(さいたん=生まれ変わり)>だという確信にまでいたります。まさに<法華経文底を実践してその使命に生きた稀有(けう)の生き方>だったのです。

Q601 なるほど、日連以外に<パウロの大いなる幻想>を超える人はいないわけなんですね。それほど仏教史のうえで日蓮は偉大でしかも不思議なお坊さんだったんですか? 

A602 ええ、生身の人間なのに、法華経の経文どおり<苦難の連続の生涯>を送られて、大変な《証(あか)しをされた人生》だったので、なんと! 日蓮正宗では日蓮を<末法のご本仏>だというふうにみています。末法(まっぽう)とは釈迦滅後2、500年経った現代の世の中のことですね。

Q602 わかりました。日蓮はほんとうに奇跡を生きた人だったんですね。    

 

 

 

  明3日へ続く)