「花の墨通信」14巻8号 

        2024年8月日発行 

           by 花  墨 汎 潤 

-「ロータス・ワールドへのいざない」

   その(178-1)     

 

Q591 なるほど、ありそうな話です。イエスの<持って生まれた福運>とも言えますし、逆に<十字架に処される悲しい宿命>とも言える感じですね。両方の意味があるのではないでしょうか?

A592 ええ、イエスに課された<運命のウラ・オモテ>ですね。だから十字架に処されるイエスが<エリエリ、ラマ、サバクタニ(神よ、神よ、なぜ罪にしたもうのか)?>と天空にむかって叫んだ、というのはほんとうの話に思えます。

Q592 そうすると、純真な青年を政治的支配のいけにえにした<ローマ支配の思惑(おもわく)>のX軸と、当時の民衆に<精神的な目覚めをアピールしたいイエスの試み>のY軸とが、<目の前のパンのみしか求めない民衆>という現実の場で切り結んでいますよね。いかがでしょう?

A593 まさにそうなんですよ。X軸は目に見える<地上のパン>の次元であり、Y軸は目に見えない《天上のアガペー(神の愛)》の次元です。絶対に交わらないタテ・ヨコの線を交錯させたのが、<偉大なるパウロ>だったというわけなんです。

Q593 そんな十字架の結び目にオリジナル・ジン(原罪)>がある、というわけですか。だとしたら世界を結びつけるこの<原罪の考え方には普遍(ふへん)性>があります。時と場所を超えた真理のひかりがありますよね。<近代科学を生み出した光線>のようにもみえますが、違いますか?   

A594 いや、違いません。世界を照らす見事な光線です。けれどもこれは<誰にでもある罪>をもとにしていますから、マイナスの光>ですね。この<マイナスの光>は<正当化する理由>があるとなんと! プラスに転化します。その例を挙げてみましょう。

 アメリカ連合軍は<ヒロシマ・ナガサキに落とした原爆の罪>をいまだに認めていません。第二次大戦を終結できたのは原爆投下>であり、それまでに自国を追い込んだのは<日本軍部の狂気>にあった、という見解を変えていません。この見解は正しいのだろうか。どう思いますか?

Q594 なんとも言えません。両方一理ありますよ。どう考えれば良いのでしょうか?

A595 2024年の春、『オッペンハイマー』という米映画が日本でも上映されました。<原爆の父>といわれるユダヤ系物理学者オッペンハイマーの苦悩を描いたものですが、<原爆投下>によって太平洋戦争を終結できたという米政府の見解を認めつつも、惨禍(さんか)を招いた原爆製造の当事者だけに悩みが大きかったわけですね。その板挟みはまさに<マイナスの光>ですね。キリスト教文明にあらわな<二律背反性>がそのまま表れていると思いませんか?

Q595 説明が漠然としていますが、少しはわかります。その<二律背反性>とは機械の便利さが毒にも薬にもなるという<怪しさ>でしょう。無人機やロボット代理戦争も同じですよね。これは<神の意思から離れた人間の悪魔性による暴走>には違いないでしょう。いかがですか?

A596 そう言えますね。その意味での矛盾の焦点が<イエスの十字架によるつぐないという幻想>にあります。<原罪>という見方は普遍的で人心の奥深くを見ています。       (178-2へ続く)