信 14巻7号 

        2024年7月1日発行 

            by 花 墨 汎 潤

-「ロータス・ワールドへのいざない」 

     その(175-2)     

 

A581 国策の大きな欠点が<全体知の欠如(けつじょ)>にあり、<文明創造のビジョン喪失(そうしつ)>にあることがわかります。要は<美しい国ニッポン>とは<芸術立国の豊かさ>でなければならないのです。<精神文明の豊かさ>を忘れて成り立たないわけですね。ゆえにもっと<芸術立国>への諸施策の充実が欠かせません。

 第四に、世界の圧倒的な<グローバリズムの大波>をみれば、科学技術の基礎研究投資》をなおざりにしていると、わが国はさらに出遅れてしまいます。今はまだ分野によっては先行していますが、<研究成果をあせり、効率化追求に囚われている>と《科学技術の基礎研究投資》は軽視され、けっきょくは有望な研究者が育ちません。《地味な基礎研究》こそが世界を制するのです。科学研究の成果は一朝一夕には現れません。国はもっと長い目で忍耐強く見守る姿勢が結局後になって大輪の花を咲かせます。

 第五に、アマチュアリズム(素人主義)の拡充によってヒューマン・ウエル・ビー―イング(生きがい創造)の幅広い道を開く>ことです。第二の施策は<ロボットづくり>に子どもを参加させる提案ですが、これがすでに<アマチュアリズム(素人主義)による楽しい子育て>の一環といえるでしょう。専門家の独占から《科学技術を解放する》のは<高度なロボットとの共存時代>だからこそできる新しい文化創造の側面です。今やまさにロボットやマシーンと交流して楽しく遊ぶ時代が直前に迫っていることを意味するわけですね。 

 第六に、<宗教をもっと魅力的なかたちに!>しないと、人間の側の<精神文明はますます衰弱(すいじゃく)>してしまうでしょう。<今までの宗教文明の問い直し>が絶対に必須(ひっす)なのです。<超高度メカニズム文明>の時代をいよいよ迎えて、<科学と宗教の一体化>を模索せざるを得ない大変に難解な段階にあります。でなければ宗教は<自分の頭で考える生成AIに代理>されて消えてなくなるのが必定です。<シンギュラリティ(文明の特異点)>によって人間が機械に使われる時代になって、はたして宗教は成り立つのか? その明確な未来像をわれわれは持たねばなりません。これは人類最終段階のもっとも難しいテーマですね。探求は後にして結論だけを言いましょう。

 ひとことで言えば、宗教はなくなりません。いっさいの宗教は科学に呑み込まれ、唯一<仏教のみが生き残る>のは科学と矛盾しないからです。なぜならば仏教の教えは<無神論>であり、<すべての存在は関係によって成りたち、超越した実体はこの世にはない>と考えるからです。

 けれどもその肝心の仏教はキリスト教ほどの魅力がありません。<幻想の豊かさ>がないので、<芸術の花々が咲き誇る>までには至っていません。キリスト教ほどの幻想的な魅力を仏教はいかにして獲得(かくとく)できるかがカギになるでしょう。キリスト教が<芸術の花々を咲き誇らせる至福(しふく)の樹>としたら、仏教はまるで<すべての花びらも葉も落として大地の無言を語る枯れた沈黙の樹>のようですね。<存在の実相>の見せ方が正反対なわけですよ。<豊かさと貧しさ>が相対しています。そこをもっと考えてみましょう。                                     (明2日へ続く)