現在、戸籍を読む仕事をしていますが、この仕事のおかげで気づいたことがあります
明治生まれのばぁーちゃんと父親の歳の差が大きく、なんとなくしっくりきていなかった
自分が幼い頃、祖母はもう80歳
計算合わないなぁと思っていたのだけど、戸籍を読む仕事をして薄っすら思い出した
父親は養子だった
このばぁーちゃん、私の育ての親
血の繋がりはないけれど
部屋には火鉢があって火鉢の前でキセルでタバコを吸う
普段はもんぺ姿で畑仕事をして
お出かけ時には着物をきてビシッときめる
サングラスかけてた
ばぁーちゃんの部屋では正座しか許されず、食事の時はお米を一粒でも残したら怒られる
味噌汁の出汁の煮干しや削りきれなかった鰹節の塊がおやつだった
幼稚園の頃から蕎麦打ちを何度もやった
蕎麦切り包丁も普通に待たされた
近所の男の子に髪の毛を引っ張られて泣かされて帰ったとき、有無を言わさずその子の家にズカズカ上がり込んで、その男の子の髪の毛を引っ張って泣かせたのには子供ながらにひいた
他人様の家へ伺う前に、正座して挨拶をする練習を何度もやらされる
お菓子を出されても食べてはいけない
厳しいばぁーちゃんだが、外で真っ黒になって遊んでも怒らない
秘密基地にラーメン作って持ってきてくれた
ばぁーちゃんとの遊びは
正座して紙風船を100回つく
とか
公園の砂場でお団子100個つくる
とか
100といのがキーワード
年寄りのばぁーちゃんの時間稼ぎ
大人になって、編み物とか彫刻とかパズルとか地味な趣味が多かったのはきっとそのせい
昔は長男が家の財産を受け継いだ
家を守るために養子縁組したりね
そんな時代があった
男社会の背景
養子に出された子供(父)はどんな気持ちだったのだろうか?
などと考えてしまう
ばぁーちゃんや父とは学校に上がる前までの付き合いだったけど、自分はばぁーちゃんを通して貴重な体験をたくさんできた
ということを仕事をしながら思いだした
父親やばぁーちゃんの戸籍をたどってみたくなった