抗がん剤治療を続けてきた母でしたが

今回の入院で脳への転移が見つかりました。


乳がんは全身に転移するらしいと何かで見聞きした記憶がありますが、

母の場合、

肺、腰、大腿骨、そして、脳

あちこちに散っていました。


母の乳がんは、進行性の転移がん。

なので、見落としてしまったものは、広がってしまうんですね。

点滴による抗がん剤治療

放射線治療

2度の手術

10年以上に渡り、治療を続けてきましたが

それも本人の以降でこの春に終了し、

残り時間もあと僅かとなりました。


長らくお世話になってきた病院は看取りはしていないので、

転院をすることになります。


入院してる家族がいると、忙しく病院に行き来しないといけない感じがありますが、

今はコロナのおかげで、面会も基本NG。

今回はオムツなどの消耗品の購入も看護師さんの方で代わりにして下さるとのことなので、

(院内にコンビニがあるからと気を利かせてくださった)

さしあたってしなければならないのは転院に向けての対応くらいです。


手続きやら何やら出てくるはずなので

今から少し準備できることはしておいたほうがいいのかな、とは思いつつ、

なにをしたらいいのやら、という感じです。

それでも何かしていないと、気持ちが折れてしまいそうなので、

家の中のモノを整理することにしました。


母はモノが捨てられない人で、

とにかく色んなものがとってあります。

予備のものがあるのに、いつまでも汚れてしまったものを使っていたりとか。

それもあちこちに適当に突っ込んであったりするので

捜し物にたどり着けないことも多いです💧

(入院の準備の時に、必要なものが探しきれなくて結局買い足す始末)


というわけで、手をつけてしまえば落ち込んでいる暇はないくらいには大変です。

スペースも限られていて、片付けたのがわかりやすい玄関に手をつけてみました。


まずは、下駄箱の中から母のものを除くと

写真で見るとだいたい半分ずつくらいじゃないかなー?という印象ですが、
傘立ての部分にも母の靴が積んであったのと、
靴の上に靴を積んでいたので
結構な量がありました💧
扉も中に湿気がこもったりするのも嫌なんで一思いに撤去しました。

そして、9割片付いた現在の玄関。
置いてあるケースは空なので撤去して
(この中からも、「なぜ取ってあったんだ??」なモノがわんさか出てきました)
代わりに草履を上のスペースに持ってこようと思っています。

入り切らなくて、常に3~4足が出しっぱなしになっていましたが
物理的にスペースが出来たのと、
扉を外したことですぐに収めることができるので
三和土もすっきりしました。
玄関で半日がかりなので、先が思いやられます。
金曜日、母を入院させてきました。

度々介護サービスを利用することを母に打診してきたものの、
起き上がることができなくなっても
ついに首を縦には振ってくれませんでした。

もともとのガンの進行、というよりは衰弱のよう。
(痛みはほとんど訴えていないので)

外を歩き回れなくなり、
家の中も移動が難しくなり、
おねしょ&おもらしをするようになり、
ごはんが食べられなくなった。
(それでも、食べたがるのは常食でした)

週の頭くらいは、失敗しつつも自分でトイレに行けていたものの、
さすがにこれは私ひとりで母のケアは困難と、
地域包括支援センターに連絡を入れたのは週の半ば。
連絡がついて、唯一のかかりつけ医・県立がんセンターへ連携をとることになったのが金曜日。
起き上がることも困難だったため、
救急車で搬入。
病院へ事前に連絡を入れて受入可否の確認をしていたので、
入院まではとてもスムーズでした。

地域包括支援センターなり、
病院なりに連携をとるまで私が1番優先したかったのは
母の自尊心でした。
正直、母との関係はかなりギクシャクしたものだったので
行き届かない部分も少なくなかったはずですが、
介護サービスを利用して受けられる快適さや、安心よりも、
他人の手を借りないことが彼女のプライドなのだろうと思うと、
なかなか踏み切れませんでした。

救急車を呼ぶ時も、納得はしていなかったのですが
排泄も、食事もままならない状況だったため、
決断しました。

主治医も今回は母を一目見て
「家で、娘さん(私)が一人で見るの無理だろう?
  回復した場合は施設へ入れるように自分から連携とるから」
と言いました。
母は、その言葉を聞いて、はじめて自宅にいることを諦めたようでした。

終末期、どのように迎えるかはいくら考えてもベストの考えはなかなか導き出せなくて
介護される者と、介護する者との間で
「こうしたい」という生活が必ずしも重なるとは限りません。
私は、先が見えない中で介護休暇を取得することに踏み切れませんでした。
もしかしたら、もっと手厚いケアができていたら
母はもう少し自宅で過ごすことができたのかもしれません。
だけど、自分が潰れない自信はありませんでした。
叔母は「無理しないで。したいようにすればいいのよ」と言ってくれました。
「どんな選択をしても後悔は必ずするから、
  無理しすぎない範囲で頑張って」と言ってくれた人がいました。
だから、私なりに力を尽くしたつもりです。

あとは、病院で回復するのか、そのまま逝ってしまうのかわかりませんが
(主治医も搬入時の段階では判断が難しいとのことでした)
慌てずに、無理をせず、できることをやっていきたいと思います。


母が抗がん剤治療をやめて数ヶ月経過。

今のところひどい痛みとかはないらしい。

(本人に尋ねても「大丈夫」としか言わないので

 現状推測するしかない)


前回の入院時、始まったかなと思っていた認知症。

今は、出てくる単語がさらに少なくなった。

口数自体も少なくなった。

(主に親戚の悪口ばかりを聞かされていたので、それもそれできつかったのですが。)

表情がさらに乏しくなった。

(もともと怒りの感情が目立っていた)

動くことが億劫になったらしく、

買い物に出ようとしなくなった。

風呂に入りたがらなくなった。

認知症、というよりもうつ病??


動きたがらなくなってきたことで、筋肉が強ばってきたようで段差の移動が難しくなってきた。

(自宅はマンションなので階段移動はないものの

 古いので、多少段差がある)

そのせいもあって、まず風呂場への移動が面倒になったらしい。

着替えの時に動きによっては痛がる、など。


私としては、そろそろ何かしら介護サービスを利用したいという思いはあるのですが、

どうも本人がまだ受け入れられないという思いがあるらしく、

本人が、困ってないと思っているうちは、片目をつぶりながら今の生活を続けるようになるんだろう、と思いつつ、自分を保ちながらどれだけのことができるのかという不安はある。


まあ、健康だろうがそうでなかろうが、

問題が起こる時は起こるので、

平常心を保つことを意識して、

できることをやっていこうと思う、今日この頃です。