あの日から。。。
あっという間に時間が過ぎた。。。

数回に渡り訪問医や訪問看護から
緩和ケアへの入院を促されそれでも
頑固にわがままに自分の信念を貫き通し
最後まで自宅を好み
自分の定位置を譲る事はなかった

老夫婦の家には毎日
専門職の方々が出入りする様になり
痛みや息苦しさに対応してくれ
義母の手助けをしてくれた

あの日は朝から血圧が低く
酸素吸入も上手く出来なくて
起き上がるのも難しくなっている事を
昼に知った。。。

訪問看護さんは打合せ通り
本人が決断する様に促しをし続けてくれた

仕事を片付け予定より早く義父母宅へ行けた
その時には義父の気持ちも固まっていて
息子を見るなり
『病院へ連れて行ってくれ…』

あれだけ緩和ケアへの入院を拒んだ義父が
かなり辛かったのだろう。。。
旦那と訪看さんが介助して
数十メートルの距離を
義父は自分の足で歩いてやっと車へ乗った
何度も立ち止まり、何度も抱えられ。。。

病院までの2.30分の距離を隣りで支え
酸素吸入のチューブが抜けない様に
見守った。道中の質問への返事係だった。
病院の方に会った時の義父の第一声は
『早く帰りたいです…』
最初で最後の在宅への意思表示になった

入院して10日。毎日、誰が行った
最後に会話できたのは私だった。。
天気が良く気持ちの良い日で山々が見え
緩和ケア病棟の中庭には
お散歩している方もいて穏やかな雰囲気
「じーぃも車椅子で外へ行こうよ」
『オレは無理だよ
なんでこんな事になっちまったんだ』と…
私は言葉が出なかった
自分のタイミングで、自分の力で頑張り
起き上がり、体勢を維持しようとしても
直ぐに崩れ座り続ける事は出来なかった。。
ひたすらパンパンに浮腫んだ足を摩り続ける事しか私には出来なかった
窓を開け、風が吹いて…
たわいも無い会話をしながら2人で外を眺めた

この頃から
自力で起き上がる事、座っている事が
一気に出来なくなった
翌日は義兄嫁
その次は旦那
その次は義兄嫁(義兄がコロナ感染に)
そして義姉

この数日は声掛けに反応がなかったけど
娘の声には反応して目を開けてくれたらしい
その日の夜中。。。

チビを寝かしつけ、残業を終え帰って来た旦那がお風呂と食事を終え、長女もバイトから帰り、家族が揃うと。。。
夜中11時21分
病院から電話が鳴った。
自分の携帯なのに怖くて出れなかった
「パパ!病院から電話」と呼び寄せる事しか
私には出来なかった
長女に次女を頼み夫婦で出発。
義母を迎えに行き
病院へ向かう40分くらいの車内は
各自が祈り沈黙だった。。。

間に合わなかった
電話を切った時には旅立ったそうです。。。

義兄はコロナ療養中
義姉は県外から病院へ向かいたいとの事で
医者の看取りは待ってもらえた

義兄のコロナ療養解除を待ち
義父の希望通りに家族葬を行った

たられば。。。たられば。。。

頑固でわがままで…
信念を持ち情に熱い…
誰に対しても意見する…
嫌われもし好かれもした昭和の爺さん!!

ありがとう♡