3月もあと数日で終わる頃の
お母さん

人が生きる為に必要なこと
足りないから補って
明日に繋げていくこと

それが出来なくなりつつあって

体力気力も日に日に衰えている
そんな報告を受けていても
現実からに逃げている私が
いたんですね

確実に当たり前が減っていき
次の一手の残りがなくなった

ついに 事態が加速していった

為す術なく
 酸素吸入のお母さん

苦しいからなのか
 さするように胸に手を動かす
眉間にしわ寄せている

『しんどいなぁ、お母さん
もういっぱい頑張ったよ
のんびりしてもいいよ
何も出来んでごめんね
親不孝ばっかりでごめんよ』
と言って手を握ると
お母さんはギュッと握り返した

その日の夜
夢でお母さんが
『明日も話に来てほしい』
と言った 
目覚めて どきどきした

仕事 出勤の日だけど
行ったところで 心配だし
夢のこともある
仕事要員の代わりはいる
娘の代わりはいない

休んで お母さんに会いに行った

苦しそうな顔しかしない
耳は聞こえているから、と
ベッドサイドのテレビがついていた

一旦私は家に帰って
夕方 娘と2人で会いに行った
また明日の朝来るね、と帰宅。

日付変わる少し前に着信があった

お母さんが頑張りきって
人生のゴールまで完走しました

お母さんの顔は何事もなかったか、
のように 穏やかだった

私も娘も泣かなかった

だってもう苦しまなくていいから

『おばあちゃん、今頃ウキウキだね
身体が自由に動くし 痛くないし
好きなもの食べて のんびりしてるよ』
娘がこう言ってくれて
ほっとした私がいました   

あれよあれよと時間が過ぎて
4月のエイプリールフールに
全然ジョークじゃない現実と
葬儀社の方々のお力添えに
感謝しかなかった

夕方 通りかかって見上げた空
あまりにも綺麗で 



綺麗すぎて写真撮った

そしたら



1本 スーッと伸びる雲


雲ひとつない空に一筋の雲

お母さんが空に待つ

お父さんやおばあちゃんのとこに

行くんだな


旅立って行ったんだな


なんかそう思えて 安心しました


小さな奇跡だと思いました。


そして人の温かさを頂き
大変な事も沢山ありますが
私自身も前向きになれています