帰省はずっと『義務』でしてきました。


地元は、わたしにとって、嫌いな人たちがいる”帰りたくない地元”であり、
”自分でいることができない”居心地の悪い実家だったから。

つくられた笑顔やさしい建前、まるで何の不自由もないような円満な家族

そんな外での様子とは裏腹
家の中は、常にギスギスしてて


家の中では笑うことのない家族
祖父母と父母は、口を聞くこともなく
愚痴文句悪口があちこちから聞こえる。

大きな声、大きなため息、いつも疲れてるように見える家族。
誰も仲良くない、誰も好ましく思い合えてない、
そんな家庭
の中で

心配だから、という理由で過干渉と過保護でがんじからめにされて
不自由な世界で生きていて

わたしはいつも家族の愛に飢えていました


仲のいい友達の家族うらやましかった
何でも正直に話しあう親戚うらやましかった
大好き、大切、と言い合える家族うらやましかった
「したいならしてみたら」と応援してくれる家族がいるクラスメイトがうらやましかった

わたしには、「ない」と思っていたものだったから。

でも、内観をし続けてきてわかった。

わたしはきちんとすべて持っていた
「ある」ものばかりだった。

「ある」ことに気付いて
大切にされている
好かれている
そういう今までになかった前提を得たことで
今回の帰省は、前回よりもさらに
あたたかいものにあふれる帰省になりました。

前回岡山に戻る時には、
なんだかさみしくて涙が出てたけど
今回は、よろこびと感謝に満ちて涙が出ました。

なんて幸せなんだろう、と思いながら、帰ってきました。


帰省がこんなに楽しくて幸せいっぱいなものになるなんて
考えたこともなかったので、
しみじみと自分の歩んできた道を思い出してます。


どんな経験も「あれはあれでよかった」になる。


初めて
あれはあれでよかったとつぶやいてみた時に、わけもわからず涙が溢れたことを覚えています。


大嫌いだった家族との日々も
悲しくて仕方なかった過去も
許せずにいた人との過去も
たくさんの人、自分を傷つけてきた過去も
傷ついてきた悲しい過去


あれはあれでよかった

すべて
<わたしのために>あった

と思えるようになりました。


そうやって、今までの経験をすべて
”あれはあれでよかった”と思えるようになっちゃうごきげん人生デザイン塾』が
特別にもう1名だけ入塾可能になりました☆
なんてラッキー☆

早い者勝ちですよ☺

 

 

一緒にごきげん人生すすみましょ!

あなたの人生諦めるのは、まだ早いよ!